球界の功労者をたたえる「2024年野球殿堂入り通知式」が18日、都内の野球殿堂博物館で行われた。選手として貢献を表彰するプレーヤー表彰では、日米通算203勝を記録した元広島のエース黒田博樹球団アドバイザー(48)が選出された。ノミネート3年での選出となり「大変名誉な選出をしていただきまして、誠にありがとうございました」と感謝を口にした。

黒田氏は上宮から専大を経て、96年に広島を逆指名してドラフト2位入団した。5年目の01年に監督に就任し、この日ゲストスピーチとして同席した山本氏との出会いがひとつの転機となった。

「先発投手、そしてエースとしての心構え、責任…たくさんのものをマウンドで学ばせてもらいました。その教えを持って、私の20年間の現役生活、最後のマウンドまで私の原動力になっていました」

同年に初の2桁勝利をマークすると、低迷期にあった広島のエースとしてチームをけん引。07年までの7年間で6度の2桁勝利を挙げ、04年はアテネ五輪日本代表として銅メダル獲得に貢献した。05年は最多勝のタイトルを獲得し、球界を代表する投手となった。

07年オフにFAで米大リーグのドジャースへ移籍し、09年には開幕投手も務めた。米国でも安定した投球を続け、12年1月には名門ヤンキースに移籍。移籍1年目の16勝から3年連続2桁勝利を挙げ、14年オフは大リーグ球団から年俸20億円超の提示を受けながら、古巣広島に電撃復帰した。

ツーシームを駆使した米国仕込みの投球は広島だけでなく、全国の野球ファンを魅了し、復帰2年目の16年には球団25年ぶりの優勝に大きく貢献した。野球に対する高い意識や考え方、登板までの準備にファンサービスまで、後輩たちに大きな影響を与えた。同年オフに現役を引退し、背番号15は球団3人目の永久欠番となった。

現役時代ともに戦った盟友の新井監督就任とともに、23年から広島の球団アドバイザーを務め、新井監督のサポートや選手育成に尽力している。

【関連記事】広島ニュース一覧