WBCの世界一経験者同士、阪神湯浅京己投手(24)とOBで日刊スポーツ評論家の岩田稔氏(40)がキャンプ地の沖縄・宜野座で対談した。今年1月に米国に出向き、動作解析で手に入れた新フォームに加え、岩田氏が注目したのは昨季終盤に1センチ短くした新グラブ。操作性がアップするメリットなど、守護神奪還を目指すシーズンへの決意を語った。【聞き手=波部俊之介】

湯浅 去年はWBCとか日本シリーズでいい経験をさせてもらいましたけど、納得いくシーズンではなかった。今年はシーズンを通してチームに貢献したい。ケガをせずに、なるべく調子の波を少なくシーズン投げ切れればと思います。

岩田 僕は09年のWBCに出場したんですけど、急きょ呼ばれたので準備ができていなかった。調整が遅れた中で、状態を上げていくことになってしまって。湯浅投手は前の年に大活躍して、ある程度頭の片隅にはあったと思うんだけど、そのへんは意識していた?

湯浅 11月の強化試合で選んでもらって、あるんじゃないかなというのはありました。年内には栗山監督からも電話をもらっていたので。調整という点では、ずっと大会球で投げていたんですけど、なんかしっくりこなかったんですよね。

岩田 こないよな。僕がびっくりしたのはボールの大きさ。そろってるわけじゃなくて、全て違う。大きいボールをこねても「どうやったらこねられるのかな」みたいな。こねてもツルツルの時もあるし。球児さんであったり、杉内さんであったりに聞いて、いろいろ対策しました。そういう部分は先輩に聞いたの?

湯浅 吉井コーチが、全部ボールをもんでくれていて。ちゃんともんでくれている球で投げたら、やっぱり感覚良く投げられたんです。吉井コーチもメジャーでやられていて、朗希が言うにはロッテの黒木さん(投手コーチ)はもみ方にもコツがあると言っておられたみたいで。ダルさんもいてくれたので、全員で聞いてやっていましたね。

岩田 09年の時も、みんな松坂さんに聞いてやっていたね。僕は代表に選ばれたのが1年間初めてフルで完走した翌年。正直、疲労が抜け切れないまま急きょ呼ばれて調整を急いだから、肩を故障して帰ってきてしまった。湯浅投手も故障が出た時、そういう影響もあったのかなと思うけど。

湯浅 日本に戻ってきてボールを戻すのは、やっている時は簡単かなと思っていたんですけど。でも、やっぱり戻すとなったらめちゃくちゃ日本球が小さく感じて。いつも以上に握ってしまうというか。変化球も、スライダーとかを教えてもらって大会球で投げる感じはすごくいい感じだったんです。だけど、日本球になると握りすぎて曲げようとしてしまう。そういった部分の影響はあったのかなと思います。

岩田 人間の体ってすごく繊細だから。ボールの違いだったり、ちょっとしたことで故障してしまう。絶対影響は出ると思う。でも、それを早いうちに分かって経験できたのは、いいことだと思うよ。そこから戻って日本シリーズの「湯浅の1球」ですよ。あの時の雰囲気はどんな感じだった?

湯浅 エグかったです。鳥肌立ちました。経験したことがなかったですね。一体感というか、球場が1つになった感じ。あれで気持ち的にもいけるんじゃないかと思いましたね。

岩田 じゃあ、あの1球はファンのみなさんの思いが乗った1球だ。

湯浅 そうですね!

(終わり)

◆湯浅の新フォーム 1月9日に渡米して約10日間、アトランタやロサンゼルスでトレーニング。フォームの動作解析を行い、改良に努めた。体への負担軽減や、もっと力が伝わりやすいフォームを追求。上げた左足を止めず、一連の動作で投げ切る新スタイルで今キャンプに臨んでいる。米国では昨年のWBCで共闘したパドレスのダルビッシュとも再会。「いろいろ気になった部分で、考えを教えてもらいました」。守護神奪取へ貪欲に進化中だ。

◆湯浅京己(ゆあさ・あつき)1999年(平11)7月17日生まれ、三重県出身。聖光学院(福島)ではチームが甲子園出場もベンチ外。17年BC・富山にドラフト1位で入団し、18年阪神ドラフト6位で入団。3度の腰椎分離症を乗り越え、3年目の21年に1軍デビュー。翌22年には59試合2勝3敗、43ホールド、45HP、防御率1・09で最優秀中継ぎ賞。23年WBC世界一メンバー。183センチ、82キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸4700万円。

◆岩田稔(いわた・みのる)1983年(昭58)10月31日生まれ、大阪府出身。大阪桐蔭-関大を経て05年希望枠で阪神入団。岡田監督時代の3年目の08年に初勝利を含む10勝を挙げた。09年の第2回WBCでは世界一メンバーとなった。21年限りで引退し、通算200試合、60勝82敗、防御率3・38。現役時代は179センチ、97キロ。左投げ左打ち。1型糖尿病と闘いながら、オフには啓発活動にも務める姿はファンの大きな共感を得た。

<湯浅の歩み>

▼18年10月25日 聖光学院からBC・富山に進み、ドラフト6位で阪神入団。高校時代は腰の成長痛、プロ入り後も19年に腰椎を疲労骨折するなど故障に苦しんだ。

▼21年6月3日 交流戦のオリックス戦でリリーフし、1軍初登板を果たす。

▼22年11月 プロ4年目で大ブレークし「8回の男」に定着。チームトップの59試合に登板してリーグトップ43ホールド、トップタイ45HPを挙げ最優秀中継ぎ賞、新人特別賞を受賞。

▼23年3月 第5回WBCで3試合2回2/3を投げ、2安打、4奪三振、無失点で世界一に貢献。

▼4月16日 開幕1軍も右前腕の張りで出場選手登録抹消。

▼7月10日 右前腕筋挫傷で、ファン投票で選出されていた球宴の出場を辞退。

▼7月30日 2軍広島戦で左脇腹を負傷。

▼10月1日 2軍広島戦で実戦復帰し1回無失点。

▼10月31日 1軍合流。みやざきフェニックス・リーグでは5試合無失点。

▼11月1日 オリックスとの日本シリーズ第4戦、同点の8回2死一、三塁で岡田監督がサプライズ指名。中川を1球で二飛に斬り、チームは9回サヨナラ勝ち。第5戦も2点を追う8回に登板し3者凡退で無失点に抑え、直後にチームは逆転。日本一に貢献した。

【湯浅京己&岩田稔対談1】復活へ新フォームに合わせ1cmグラブを小さく、守護神奪還も宣言