プロレスの月曜日

デビュー35周年 蝶野正洋に聞く「ヒール」の美学

プロレス界のレジェンド、蝶野正洋(56)が10月でデビュー35周年を迎えた。「黒のカリスマ」と呼ばれ、ヒール(悪役)のイメージを大きく変えた功労者でもある。悪の軍団「nWo」を率い日米を股に掛け、新日本プロレスで空前のブームを作り上げた蝶野に「ヒール」の美学を聞いた。

カメラに向かって吠える蝶野正洋(撮影・滝沢徹郎) 
カメラに向かって吠える蝶野正洋(撮影・滝沢徹郎) 

プロレスの戦いの基本は、ヒーロー(ベビーフェース)対ヒール(悪役)という構図だ。最近は、それに軍団(ユニット)ごとの抗争がミックスされて複雑化している。昭和の時代まではヒールといえば、外国人レスラーや他団体からの侵略者。しかし、蝶野はその構図を一変させた。

デビューから10年の94年、G1クライマックスで3度目の優勝を達成した直後、蝶野は突然「武闘派宣言」してヒールに転向した。「29歳でそこそこのポジションを築いていたが、プロレスをやれるのもせいぜいあと10年。新日本で本当のトップになるために、あえて正規軍のワクからはみ出してみようと決断した」という。会社や、創始者のアントニオ猪木に相談しても断られ、見切り発車での決断だった。

蝶野は会社の体制を批判し、天山広吉、ヒロ斎藤とともにヒールユニット「狼軍団」を結成した。この動きを参考に、米国WCWのエリック・ビショフ副社長が当時大人気のヒーロー、ハルク・ホーガンをヒールに転向させ、nWoを結成。一気にブレークした。

「米国も日本と同じように、組織内での勢力争いはなかった。外国人や人種との対決が軸だったけど、エリックがオレらの動きをみて、組織内での対立という構図をWCWの中でやったら、お客がどっと入るようになった。それでオレらも米国に呼ばれて、その人気を目の当たりにした」

笑顔でインタビューに応じる蝶野正洋(撮影・滝沢徹郎) 
笑顔でインタビューに応じる蝶野正洋(撮影・滝沢徹郎) 

nWoでは、ホーガンらの軍団に蝶野が加わり、nWoジャパン結成という流れになるが、実際は蝶野の行動がその始まりだった。蝶野はファッションやプロレススタイルにもこだわった。「オレらの時代はパンツも赤やオレンジ、黄色、ブルーとカラフルになっていた。そんな中で、あえて黒にこだわった。入場時のガウンもバスローブ型じゃなく、カッコいい黒のロングコート。学ランとか長ランのイメージでつくった」

そのファッションも米国WCWに取り入れられた。蝶野が率いるnWoは、そのカッコ良さと強さで爆発的な人気を博した。現在も新日本プロレスはブームといわれるが、その爆発力では蝶野のnWo旋風がはるかに上だった。

「ヒールというのは組織中にいるレスラーの本音の部分。タテ社会の結束の中では吐いてはいけない言葉とか、たまったものを吐き出している。だから一般の人の共感を呼んだ」と蝶野は回想する。蝶野が作り出した新しいヒール像は、今やプロレス界のヒールの主流となっている。【桝田朗】

◆蝶野正洋(ちょうの・まさひろ)1963年(昭38)9月17日生まれ、東京都出身。84年4月に新日本プロレスに入団し、同年10月5日の武藤敬司戦でデビュー。91年、初開催のG1クライマックスで優勝。同大会は最多の5度優勝。96年のnWo旋風でプロレス大賞MVP受賞。98年にはIWGPヘビー級王座獲得。10年に新日本を退団し、14年4月の試合を最後に事実上の引退。現在は一般社団法人NWHスポーツ救命協会代表理事で社会貢献活動に取り組み、タレントとしても活躍中。

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