リングにかける男たち

何ともみっともない協栄ジム休会、先代も泣いている

プロボクシングの名門協栄ジムが休会となった。オーナー側と金平桂一郎会長の金銭トラブルが原因。あまりに突然のこと。選手、スタッフには説明もなく、報道で知ったという。

協栄ジム
協栄ジム

アマチュアのジムとしては存続するが、プロ選手は宙に浮いた。しかも2人が2週間後に全日本新人王を控えていた。緊急対応で移籍が決まった。東日本協会会長の花形会長が手を差し伸べたのは救いだった。

金平会長は再開を目指すと言ったが、12年に大久保の自社ビルを売却前後から、閉鎖のうわさがくすぶっていた。経営難からオーナーと契約したが、その資金源がなくなった。

あまりにも無責任な行動に、協会も再開には厳しい条件をつけることで一致した。休会が5年続くと自動的に退会となる。このまま消滅する可能性が強い。

59年に金平ジムとして、現会長の父正紀氏が開いた。現役時は日本ランキング1位までいき、引退後はマネジャー。トンカツ屋を開き、バイト募集広告に「ボクシング教えます」の1行を加えた。これが国内最多となる13人の世界王者育成ジムの始まりになった。

応募したのが海老原博幸だったという。才能を見初めて、店を畳んでジムを開いた。その後は西城、具志堅、上原、渡嘉敷、鬼塚、勇利、ナザロフを育て、佐藤、坂田も死去後に世界を射止めた。

鬼塚、勇利時代によくジムへ通った。過去に対戦相手に薬物入りオレンジを食べさせたと、一時期追放されていた。怖いイメージだったが、なかなかユニークなやり手だった。

具志堅は拓大進学で上京も強引に入門させ、「100年に1人の天才」と売り出した。旧ソ連だった勇利とナザロフは輸入ボクサーとして最初の成功例。鬼塚は陥落翌日に網膜剥離を告白して引退した。水面下では次戦で辰吉と対戦させる計画が夢となり、とても残念がっていたのを思い出す。

5人の世界王者を生んだヨネクラジムは17年に閉鎖した。米倉会長が高齢などで55年目に幕を閉じた。協栄は今年61年目。昭和、平成とこの世界を支えた。先代もスキャンダルの人だったが、策士ぶりは誰もが認めた。今回の休会騒動は何ともみっともない。草葉の陰で泣いていることだろう。【河合香】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

日刊スポーツのバトル担当記者のとっておきコラム。プロレス、ボクシング、総合格闘技の現場からお届けします。

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