今月からボクシングジムが営業を再開し、WBA、IBF世界バンタム級王者井上尚弥が所属する大橋ジムを取材で訪れた。

自粛が続き、久しぶりのジム取材とあってか、「ピーッ」というなじみ深い音がなぜか耳に残った。ボクシングの試合は、1ラウンド3分で、ラウンド間に1分のインターバルが入る。多くのジムが、この「3分-1分」をゴングやブザー音などで区切って練習しているのだが、大橋ジムのインターバルは40秒に設定してある。

ふと疑問に思い、大橋秀行会長(55)にその理由をたずねると、現役時代に所属したヨネクラジムが40秒だったからだと教えてくれた。試合より短いインターバルに慣れることで、本番で1分が長く感じられる-。だが、大橋会長が続けたのは、意外な言葉だった。

「ただ、最近、1分に変えようかなと思ったんですよ。試合と同じ長さにした方が時間の感覚にも慣れるし、しっかり回復してから全力で次のラウンドに入った方が効果が出るんじゃないかと思って」。

94年にジムを開き、26年。この「40秒」で育った川嶋勝重、八重樫東、井上尚弥、井上拓真が世界王者へと駆け上がった。「験担ぎのような気持ちはないのですか?」。そう聞くと、同会長は「今は、ないですね」と言った。

「今は」が気になったので、その真意をたずねると、恩師である米倉会長との思い出を交え、ジンクスや験担ぎについて語ってくれた。

「米倉会長は、宿泊するホテルの方角の運勢を調べたり、日付や字画などにもこだわる人なんです。黒が嫌いだったから、選手は黒のトランクスはだめ。あと『引退式』はしないという決まりもありました。ある興行で、所属選手の引退式をやったら、メインを務めた同門の選手がKO負けしたからです。僕の指導法は米倉会長のまね。だから、大橋ジムも引退式はしないし、現役中から色へのこだわりも強かったんです」。

86年12月、張正九(韓国)との世界初挑戦で5回TKO負けした。その試合で着用したのが、黄色のガウン、黄色のトランクスだった。試合前に着ていた小百合夫人からプレゼントされた手編みのセーターも黄色。それ以降、黄色はNGカラーとなった。88年6月、張正九との再戦に臨むも、またも王座奪取はならなかった。この時のトランクスの赤も、米倉会長の苦手な黒、黄色に続き、その後、避ける色になったという。

ラッキーカラーは青だった。90年2月の崔漸煥(韓国)との3度目の世界挑戦で、悲願の世界王者となった。日本人の世界戦連敗を21で止めた伝説の一戦で使用したトランクスの色だった。引退後に開いた大橋ジムの看板、チームジャージーも青にするなど、会長にとって長く幸運を呼び込む色だったという。

そんな「こだわり」に変化を与えたのは、教え子たちだった。12年6月、WBAミニマム級王者八重樫が、WBC王者井岡との国内初の2団体統一戦に臨んだ。「何かを変えないと勝てない」と思い、チームジャージーを、あえて“不吉”な赤に変えた。試合こそ敗れたものの、翌年、その赤のジャージーで、八重樫が2階級制覇を達成した。井上尚も続く。黄色と黒という、目を覆いたくなるような配色のトランクスで「怪物」ぶりを見せつけた。そんな積み重ねが、会長の色へのこだわりを、少しずつなくしていったという。

「選手たちがジンクスを全部払拭(ふっしょく)してくれたんです。プロ初黒星を喫した時、たまたま目に入った時計が1時11分だった。それ以来、ぞろ目の時間を見ると、嫌な気がしていたけど、尚弥のある試合の朝、4時44分に目が覚めたが、尚弥は圧勝した。変化を恐れず、自分が目指す方向に道を切り開いていく意識が重要なんだと思っています」。

ヒリヒリする勝負の世界で生きてきた大橋会長の経験談に引き込まれていると、会長は「思い出した!」と続けた。

リカルド・ロペスに敗れ王座から陥落した週に「こういうついていない時は当たる」と買った宝くじで100万円が当たった話…、世界王座返り咲きを果たした試合の朝、日刊スポーツの占いを見たら「最悪の運勢の日」と書いてあった話…。

仮に、大橋ジムのインターバルが1分に変わっても、力強い選手たちが「関係ない」と証明してくれるに違いない。【奥山将志】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)