NHK紅白歌合戦で11回も歌われている曲があります。86年に発売された石川さゆり(62)の「天城越え」。昨今、何かと話題の「不倫」がテーマの曲です。今年はNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で主人公の母を演じるなど女優としても活躍中の石川が、当時イメージチェンジを図った勝負曲でした。名曲やヒット曲の秘話を紹介する連載「歌っていいな」の第11回は「天城越え」です。

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1977年(昭52)に発表した石川さゆりの「津軽海峡冬景色」は、都会で恋に破れ、北に帰る切ない女心を叙情的に表現した。それから9年後に発売したもう1つの代表曲「天城越え」は、カラオケでの人気曲ながら、本当のテーマを理解して歌っている人がどれほどいるか。女の恐ろしいほどの情念がほとばしる曲は、実は「夫婦げんか」がテーマで、しかもハッピーエンドの歌なのだ。

19歳で放った「津軽海峡冬景色」の大ヒットで、石川はアイドル路線から転身し、人気歌手の地位を不動にした。しかし、20代後半に入ったある日、当時所属していたレコード会社「日本コロムビア」と事務所「ホリプロ」では「今後の石川さゆりをどうするか」で会議が持たれた。「歌は演歌というより歌謡曲に近い。本物の演歌を歌わせたい」が1つの結論だった。石川の歌声が持つ品の良さ、特に高音の叙情感や清涼感が、作品を「演歌」ではなくしていた。

新曲の依頼を受けた作詞家の吉岡治さんは「品のある声質を変えて作品を発想しないと、リアリティーあるドラマを展開できない。金切り声に変えたらどうなるか」と考えた。女性が逆上し、修羅場となって金切り声を発する場面。吉岡さんは「そう…夫の浮気現場に踏み込んだときのような声でいこう。良妻賢母的な石川さゆりのイメージを崩そう」と、テーマを「夫婦げんか」に決めた。

日本コロムビアで担当だった中村一好ディレクターは「『津軽海峡冬景色』を超えるスケールの大きな作品にして、NHK紅白歌合戦のトリを取らせる」と豪語していた。しかし、そのためには日常的な夫婦げんかがテーマであっても、普遍性を内容に込めなくてはならない。吉岡さんは「夫婦げんかの末の離婚なら普遍性なんて出ない。世の中には、家庭内離婚のように完全に切れた関係もあれば、子供のためにごまかしながらも夫婦の関係を続けていく形もある。今や日常的になったこれらの関係を描くことで普遍性を持つと思った」と語る。

曲の登場人物は3人。夫と妻と愛人。不倫現場に乗り込んだ妻が、金切り声で叫ぶ。しかし、別れてしまってはすべてが終わる。このまま夫婦関係を続けてもどうしようもないかもしれないが、何とか現状を乗り越え、歩んでいきたいと願う。火をくぐるほど、血を吐くほど大変な、夫婦で越えるべきもの。それが歴史的に火と血を感じる「天城」を越えることで表現された。この詞に、「静」から「動」にドラマチックに展開するメロディーと、和楽器を巧みに使った編曲が加わり、三位一体の名曲に仕上がった。

しかし、日本コロムビアが、完成した曲を関係者に示した時、「こんな歌、売れるはずない。次の作品をすぐ用意してくれないと」と烈火のごとく言われた。その苦言通り、春に発売されるや、石川の数ある作品の中でも、売り上げ枚数が伸び悩んだ曲となってしまった。吉岡さんは「石川さんにとって新しい挑戦。売れないかもしれないと思っていたが、実際売れないと忸怩(じくじ)たる思いがありました」と、当時を振り返って笑う。

しかし、思わぬことが起きた。その年の紅白歌合戦で「天城越え」が紅組のトリに選ばれた。売り上げ枚数では測れない魅力のある曲として認められたのである。その後、石川は紅白歌合戦で、この曲を同番組最多となる11回も披露した。日本人に愛される名曲に育て上げ、美空ひばりさん亡き後の歌謡界の女王に上り詰めていった。

【特別取材班】

※この記事は96年12月4日付の日刊スポーツに掲載されたものです。一部、加筆修正しました。連載「歌っていいな」は毎週日曜日に配信しています。