女優吉岡里帆(25)が恩師の死に大号泣して、報道陣に懇願した。今月8日に大腸がんのため、62歳で亡くなった伊藤英明や岩城滉一、DAIGO、吉岡らが所属する芸能事務所「エー・チーム」の小笠原明男社長の通夜が11日、都内の青山葬儀所で営まれた。

 弔問客は約2000人も集まり、大勢の著名人も訪れた。中でも「東京のお父さん」と慕っていた、所属タレントの吉岡の悲しみは深かった。ご焼香を済ませて、葬儀所から出てきた吉岡は、放心状態のままに関係者に促されて、報道陣の取材に応じた。「……。ごめんなさい、上手に話せなくて」と、動揺は抑えきれなかったが、懸命に話そうとした。

 「思い出が多すぎて…。テレビが、映画が大好きで、周りの人を本当に本当に大切に思う人で…。ちゃんと話せなくて申し訳ございません…。明男さんがテレビを大事にされていたので、明男さんのかっこいいところをちゃんと伝えたいんですけれど…、えっと、えっと、えっと、ウッウッ」。

 必死に気丈に振る舞い話そうとしていたが、思いが大粒の涙とともにあふれ出した。

 「いつも家族、家族なんだと…。悩んだりすると、3年前から病気のことは聞いていて、すごく苦しかったと思うんですけど、本当にいつも……。ちゃんと話さなきゃ…」。ハンカチを取り出し、涙を拭いて、言葉を絞り出す。

 「仕事や家族の話をしたり、年末も年始も病院にあいさつに行って…。私が元気になりますようにって年始にお参りしたお守りを渡したんですけれど、それを24時間手放さなかった携帯電話のカバーの中にずっと、ずっと入っていて、ウッウッ…。病気になってからも絶対に元気になると何度も言ってくれて。電話切るときも必ず『大丈夫だからね、絶対に治して、私がいくつになっても一緒に仕事をしよう』って言ってくださっていて。だから、私も明男さんが良くなるまでとにかく頑張ろうと。明男さんがいたから頑張れたくらいに、そのくらい私にとって頑張れる源だったので、今(の状況が)よく分からなくて、よく分からなくなっているんですよね…」。

 恩師は、吉岡のめざましい活躍を喜んでいた。

 「病気になってから立ち上がるのもつらいはずだったのに、いつも作品を全部見てくれていて、電話もかかってきて、あれもこれも見たよって言ってくれて。『もうしんどいから、全部見なくてもいいですよ』って言ったのに、『いや、そんなわけないでしょ。里帆のお父さんだよ。絶対に見るよ』って言ってくれてて…」。

 印象に残っている言葉を尋ねられると、「いっぱいありますね…。いつも言ってくださっていたのは『1人じゃなくて、全体のチームで家族でやっている仕事だから、何があっても1人じゃない。見てくださる方に楽しんでもらうこと。これに尽きる』と、いつも教えてくださっていて。どんな仕事をするときも、どうすれば喜んでいただけるかをいつも考えることだったり。周りを方を大切にすることだったり、本当にすごいかっこいいんですよ! 本当にかっこよくて、今もお通夜していたらわかると、ここにいらっしゃったら皆さんも分かると思うんですけれど、みんなのことが大切で大切で愛情をいっぱい届けていらっしゃったから、こんなたくさんの人が集まってくださったと思うんです」。

 思いがあふれて、熱く訴えるように語り続けた。

 「だから、本当に私にとっては、一緒に仕事ができたことが誇りですし、明男さんのこの会社を立ち上げて、こうしてこられた時間をちゃんと守らなきゃいけないと思います。とにかく事務所に残った役者やタレントは、寂しくてどうしようもないですけど…、頑張るしかないなと思っています」。

 報道陣の1人1人の目を見つめて、必死に話した。

 「すみません、ちゃんと伝わっていますか? もしも記事にするなら、優しくて人情がいっぱいで、かっこよくって、本当にお客さんのことばかり考えていた人だったと書いて下さい。お願いします!」と、号泣しながら懇願した。

 また、かつての小笠原さんが担当マネジャーだった石田純一(64)は「売れなかった20代は、2人でよく朝の4時や5時まで飲み歩いた。楽しい男だった。最後に成功して、こんなに大勢が参列してくれて、すばらしいですよ」と目頭を押さえながら、思い出を語った。

 同い年で同じ北海道出身の松山千春(62)は「1年に1回、北海道でゴルフをするのが楽しみだった」と、故人をしのんでいた。