「傷だらけのローラ」「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」などのヒット曲で知られ、ドラマやバラエティー番組でも活躍した歌手の西城秀樹(さいじょう・ひでき)さん(本名・木本龍雄=きもと・たつお)が16日午後11時53分、急性心不全のため横浜市内の病院で死去したことが17日、分かった。63歳。先月のコンサートで歌声を披露したばかりだった。「ヒデキ」の愛称で幅広い世代に親しまれたパワフルなステージはもう見ることはできず、旧知の歌手仲間はショックを隠せない。葬儀・告別式は26日に東京・青山葬儀所で営まれる。
先月25日、秀樹さんは自宅で家族だんらん中に突然意識を失い、横浜市内の病院に運ばれた。関係者によると、運ばれた時には心肺停止状態だったという。美紀夫人(45)や長女(15)長男(14)次男(13)が懸命の看病を続けたが、意識は戻らず、16日夜、帰らぬ人となった。
倒れるわずか11日前、栃木・足利市民会館で行われた「同窓会コンサート」で元気に5曲を披露。63歳の誕生日翌日だったこともあり、共演者が用意した大きなバースデーケーキに笑顔も見せた。このコンサートで共演し、家族ぐるみの付き合いがあった女優の小川知子(69)は「あれが最後なんて…何とも言えない」と言葉を詰まらせた。
圧倒的な歌唱力と派手なアクションで知られたが、この15年間は病魔が付きまとった。03年5月、公演先の韓国で脳梗塞を発症。長女が1歳前、長男が生まれる前のことで、子どもたちのために再び歌うことを決意。06年9月に3年ぶりの新曲「めぐり逢い Same Old Story-男の生き様」を発売して復帰を果たした。
この病気が人生観を変えたという。09年に日刊スポーツのインタビュー「日曜日のヒーロー」では、命には限りがあり、そんな当たり前のことを再認識できたと語っていた。
秀樹さん 終止符を打つまでは人生を楽しみたい。自分だけでなく、周囲のみんなを楽しませたい。一生懸命という言葉はあまり好きじゃなかったけど、一生懸命に、今できることをやっていきたい。
11年12月には脳梗塞が再発。右半身まひと言語障害が残ったが、リハビリとともに芸能活動も継続した。
デビュー間もない70年代には、郷ひろみ(62)野口五郎(62)とともに「新ご三家」として芸能界をリードした。CDやブロマイド売り上げで郷とトップの座を争い、歌唱力では野口としのぎを削った。
NHK紅白歌合戦の出場は18回を数え、79年2月に発売した「YOUNG MAN」は5週連続オリコンチャート1位。80・8万枚を売り上げた。TBS系歌番組「ザ・ベストテン」では同曲で2週連続満点の「9999点」という唯一無二の記録も打ち立てた。
トップアイドルであるとともに海外のポップスやロックを数多くカバー。ロック歌手の歌唱法にも影響を与えた。秀樹さんもロッド・スチュワートやジェームス・ブラウンの影響を受け「ジャニス・ジョプリンが大好き」と明かしている。
74年8月には大阪球場(当時)で日本で初めてスタジアムでのワンマンコンサートを開催。この分野でも先駆者だった。
74年の「寺内貫太郎一家」を皮切りにNHK連続テレビ小説「つばさ」や映画「愛と誠」などに出演。俳優としての力量でも郷と競い合った。
「ヒデキ、感激!」のフレーズが流行語にもなったハウス「バーモントカレー」のCMや、テレビアニメ「ちびまる子ちゃん」の主題歌「走れ正直者」も歌い、老若男女の境目なく、人気の幅広さでも際立った存在だった。