日本テレビ系「笑点」の司会などで知られた落語家桂歌丸(かつら・うたまる)さん(本名・椎名巌=しいな・いわお)が2日午前11時43分、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患のため横浜市内の病院で亡くなった。81歳。肺気腫などで入退院を繰り返し今年4月から入院していた。通夜・葬儀は近親者で営む。喪主は妻冨士子(ふじこ)さん。11日午後2時から椎名家・落語芸術協会合同のお別れ会(告別式)を横浜市港北区菊名2の1の5の妙蓮寺で行う。

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 執念の人だった。「『笑点』の歌丸ではなく、落語の歌丸で終わりたい」。16年に「笑点」の司会を勇退した際、理由を聞かれた時の言葉だった。

 歌丸さんは、三遊亭円朝の怪談噺(ばなし)をライフワークとして、8月の国立演芸場で長講を手掛けた。しかし、一般的には高視聴率の「笑点」司会のイメージが強かった。だから、「笑点」勇退後は今まで以上に落語に専念するつもりだったが、皮肉にも病気との闘いが続いた。本来なら、ゆっくりと養生するところを、少しでも良くなると、退院して高座に出た。そんな入退院の繰り返しに「そこまでしなくても」と揶揄(やゆ)する向きもあったが、それは残り少なくなった日々を落語にかけた執念の姿だった。

 優しい人だった。以前、歌丸さんが腰の手術をするために高座を休んだことを、関係者にだけ取材して、本人に聞かずに記事にした時、歌丸さんが激怒しているという話が耳に入ってきた。直後、恐る恐る、楽屋におわびに行くと、「自分のことを知らないところで書かれるのは嫌なんです。今度、何かあったら、構わずに聞いてください」と言われて、救われた気がした。その優しさゆえに、落語芸術協会の会長として、真打ち昇進で抜てきなどをせず、順送り昇進を維持した。抜てきすれば、興行的にはいいはずだが、歌丸さんは「抜かれた人の悔しさを考えるとできない」と、温情を優先した。

 信念の人だった。二つ目時代、師匠五代目古今亭今輔に破門され、一時期は化粧品のセールスマンとして働いた。成績も良かったが、落語への思いは断ちがたく、兄弟子桂米丸の弟子になるという離れ業で復帰を果たした。「笑点」司会の勇退を大喜利メンバーに打ち明けたものの、いつも一緒にいる弟子には明かさなかった。

 口が堅かった。そして、「笑点」では「暗いニュースは話題にしない」という信条を守り切った。端正な高座同様、1本筋の通った生き方を貫いた。【林尚之】