22日公開の映画「翔んで埼玉」の挿入歌「なぜか埼玉」を歌う歌手さいたまんぞう(70)が、古希でのブレークを狙っている。

80年に自費出版で発売した「なぜか埼玉」が、タモリ(73)の深夜放送のニッポン放送「オールナイトニッポン」で取り上げられてヒット。その後は、TBS系の情報番組「そこが知りたい」で「歌う駅員さん」として注目を浴びた。田原俊彦、松田聖子らもメンバーだった、NHKの歌番組「レッツゴーヤング」内のオリジナルグループ、サンデーズのメンバーだったアイドル歌手の川島恵と、87年にデュエット曲「東京カントリーナイト」と発売したのがきっかけだった。

「川島さんがアイドルから演歌に転向するのに、間のクッションとして企画物で発売しました。それをプロデューサーが聞いて『そういえば、さいたまんぞうはどうしてるんだ?』って。京浜東北線の大宮駅の改札口で歌って評判になって、エンディング曲に採用されて96年まで10年近く続きました」

タレント業と並行して、草野球の審判をしていたことも知られている。

「ドラマーの仕事が夜で、昼間は暇だったからやっていただけ。特に資格は持っていません。元々は岡山の野球少年だったんです。高校に入る時、甲子園でも有名な関西高校のセレクションで150人の中から10人に選ばれたんです。私たちの頃は、岡山に後にプロで活躍する投手の四天王がいました。大洋の平松政二さんが岡山東、中日の星野仙一さんとヤクルトの松岡弘さんが倉敷商、そして東映の森安敏明さんが関西。星野さんが2つ上で、他は1つ上」

プロ野球選手を夢見たが、下宿が嫌だったことと「野球で飯を食っていけないぞ」という親戚の言葉で断念。地元の高校に進んだ。

「アルバイトしてレコードを買ったりしてたんですが、西郷輝彦さんに憧れた。高校を卒業して上京して、ワタナベプロのバンドボーイになりました。今、業界の大物になった方々にも、ずいぶんとお世話になりました。クールファイブを育てられたワクイ音楽事務所の和久井保社長には、昨年50年ぶりに対面しました。ある歌謡祭でみそ汁を作っていたら、後ろで『さいたまんぞうとかいう男が』と話してる方がいたので『どちら様ですか』と尋ねたら『和久井だよ』って(笑い)。ありがたかったですね」

「なぜかさいたま」のブームを機にドラマーをやめ、その後はスティックを持っていない。歌手、リポーター、司会業で芸能界で生き続けてきた。

「芸能界の壁にへばりついてきました(笑い)。3年前からボーイズバラエティー協会に所属して、浅草・東洋館の下席で10日間のうち3、4日くらい、審判の格好で“歌う審判”として直立不動で歌っています。今の若い人が『なぜか-』を聞いて、どんなリアクションをしてくれるか楽しみですね」

70歳、独身。5月には新しい時代の幕が開ける。

「昭和、平成、そして新しい時代が始まるけど、特に何もないですね。ずっと独身なんで孤独死しないようにとは思ってます。結婚しようなんて思わなかった。無責任なんですよ。女性と付き合っていても、結婚話が持ち上がって『親と会って』となったら、自然と会わなくなるような」

「翔んで-」に出番は微塵(みじん)もない。

「去年の4月に映画化の話をスポーツ新聞で見て『BGMで使ってくれ』と『なぜか-』を売り込んだんですよ。そしたら『脚本の段階で使うことが決定しています』と。僕には連絡なしでした。1シーンでも出たかったんですが、すでに撮り終わってました(笑い)。劇中でブラザー・トムさんが、口ずさんでくれてるのがうれしいですね」

ブームのきっかけを作ってくれたタモリとの付き合いについては「全然ないです!」とキッパリ言い切った。(終わり)

◆さいたまんぞう 1948年(昭23)12月9日、岡山県美咲町生まれ。津山基督教図書館高卒業後、上京。グループサウンズのバンドボーイ、俳優浜畑賢吉の付き人を務める。80年、「なぜか埼玉」がヒットし、さいたまんぞうを芸名に。その後、司会、リポーターとして活動。中学、高校時代は野球部。独身。174センチ、68キロ。血液型O。