金ピカ衣装で「おぼっちゃま」キャラを貫き、赤いハンカチをかみ「すまんのぉ~」。ほら吹き漫才の第一人者、漫才師横山たかし(本名・山高孝)さんが1日午前3時51分、多臓器不全のため、大阪市内の病院で亡くなっていたことが2日、分かった。70歳だった。昭和の上方演芸界を代表した漫才師、故横山やすしさんの弟子。

たかしさんは、14年3月に、ヘルニアをともなう腰部脊柱管狭窄(きょうさく)症を発症。昨年1月にも腸腰筋膿瘍(ちょうようきんのうよう)の手術を受けるなど、闘病を続けながらも、昨年12月末まで舞台出演を続けていた。

復帰後は「安倍総理が心配して手配してくれた」金色で統一した車いすで、相方の横山ひろし(72)と漫才を続け、舞台でのほらもスケールアップ。金ラメの衣装は「38億円」で、重すぎたために「腰を痛めた」と言い、金ピカの車いすは「48億円」とほらをふいていた。

舞台でのほら吹きと、素顔は正反対。実直で、情感豊かなたかしさんは、取材時に母を思い涙したこともあるなど、人と向き合うことも全力だった。

人や事象を“いじって”ネタにするケースが多い近年の漫才とは一線を画し、徹底的に自分がボケる漫才スタイル。ありもしない豪邸に住んでいると言い張り、自宅は「玄関から扉まで車で行く」とほらを吹いたネタもあった。

他者を傷つけない優しい芸風は、素顔の人柄そのもので、性格も純粋。熱烈に応援していた阪神が負けると「ほんまに体調、悪うなる」とぼやき、タイガースが惨敗すると、電話口の声から気分の沈み具合が分かるほど、素直な性格だった。

親しい関係者によると、今年4月ごろからは体調が悪化。いったん落ち着いたものの、調子の優れない日が続いていたといい、最期は子供ら家族にみとられたという。

所属事務所もこの日、たかしさんの死去を発表し、故人の遺志で葬儀は密葬で終えたと報告。「後日、お別れ会を検討している」とコメントした。