志村さんは、細部まで徹底的に練り上げて笑いを作り上げた。TBS系「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」の構成作家を務めた、江戸川大教授でお笑い評論家の西条昇氏(56)が30日、ありし日の志村さんをしのんだ。

西条氏は「とにかくよくなってほしいと思っていた。喜劇の神様同士の顔合わせとなる、山田洋次監督映画の降板を聞いて具合が悪いんじゃないかと心配してたんですが。映画、朝ドラと、70歳になられて今までと違った笑いを見せてもらえると思ったのに残念です」と声を落とした。

西条氏は「加トケン」の構成作家として、毎週の会議で隣の席に座り、笑いを生み出す志村さんを見続けた。「作者兼演者で、加藤(茶)さんと志村さんを中心に笑いを練り上げていった。1時間の沈黙はざら。志村さんは厳しい表情で一転を見つめていたかと思うと、前の晩に見た海外コメディーや映画の話をしてくれた。そこからヒントを得ることも多く、20分のコントの細かい部分を半日かけて作った。午後3時に始まった会議が午前0時に終わらないことも、よくありました」。

志村さんは1個、1個のギャグを緻密に積み上げていった。西条氏は「常に真剣勝負。密室の中で錬りに練って作り上げたものを、いざ演じるとなると本当にバカバカしい喜劇にした。密室で練り上げたとは思えないアドリブのような、それこそ飲み屋で作ったような笑いにした。それが、大きな笑いを生んだ」。

志村さんはドリフターズの付き人から、マックボンボンというお笑いコンビをへて、74年に荒井注さんと交代でドリフに加入した。「1年くらいは、志村さんは定着しなかった。それが『東村山音頭』のヒットで、客席から『志村、後ろ後ろ』と声が掛かるようになった。お客さんが志村さんに感情移入した。演者じゃなく、お客さんの言葉がはやって定着したのは、すごく珍しかった」と言う。

西条さんは「『8時だョ!全員集合』『バカ殿様』『志村魂』といろいろありますが、志村さんの基本は役柄を演じるコント。時代が変わっても、ずっと変わらない。言葉で笑わせる人が多い中、志村さんは『こういう酔っぱらいがいるよね』『こういうおばあちゃんがいるよね』と、人間の普遍的な滑稽な部分を広げて再現して見せてくれた。表情や笑いの動きにこだわって、喜劇人としての芸を演じて見せてくれた」。

その笑いは時代、世代を超え、言葉が通じない海外へも通じた。「古今東西の喜劇を研究していた。あれほど笑いにこだわって研究する人はいない。だから日本の子供からお年寄りまで、世代を超えて笑える“笑いの教科書”を作り上げた。今までやってきたコントだけじゃなく人情喜劇へも、70歳の今でも芸の幅を広げようとしていたのに残念です。ご冥福をお祈りします」と話した。