志村けんさんが亡くなった。70歳だった。

同じ干支(えと)で志村さんが一回り上。志村さんのことは、ドリフ見習いの頃から全部見てきた。

志村さんのネタで、一番好きだったのは80年、まだ熊本大生だった女優宮崎美子(61)が出演したミノルタ一眼レフカメラのテレビCMのパロディー。

ポッチャリ系の宮崎が、はにかみながら、Tシャツとジーパンを脱いでビキニ姿になるという内容。CMソングだったフォーク歌手斉藤哲夫(69)の歌う「いまのキミはピカピカに光って」はシングル発売されてヒットした。

CMのヒットを受けて宮崎はスカウトされ、80年10月期のTBS系ポーラテレビ小説「元気です!」で女優デビューした。当時のポーラテレビ小説は、NHK連続テレビ小説と並ぶ新人女優の登竜門だった。宇津宮雅代、木内みどり、丘みつ子、音無美紀子、中田喜子、萩尾みどり、岡江久美子、岡まゆみ、五十嵐めぐみ、名取裕子、山本みどり、樋口可南子、かとうかずこなどを輩出した。アッという間に人気者になった宮崎は、その後もTBS系連続ドラマ「2年B組仙八先生」のマドンナの女性教師役など順調な女優活動を歩み始めていた。

これを当時、加藤茶(77)と並ぶ、ドリフのエースとして活躍していた志村さんが見逃さなかった。コントの途中で突然、♪いまのキミは ピカピカに光って~ と音楽が流れ出し、志村さんがTシャツとジーパンを脱ぎだしてビキニ姿に。そして、ちょっと突き出た腹の肉をつまんで揺らしながら「宮崎美子~ッ」と叫ぶ。そこへリーダーだった故いかりや長介さん(04年没、享年72)が「コラッ!」とツッコンだ。

もう40年も前のことだ。でも、すごく面白かった。

文化社会部に出たり入ったり…、30年も芸能取材を続けている記者だが、志村さんを取材することは少なかった。近年は舞台「志村魂」の発表会見に出てくるようになったが、子供の頃のアイドルにじっくりと話を聞く機会は永遠に失われてしまった。

志村さんは74年に出身地の曲「東村山音頭」でブームを起こしたが、記者にとっては志村さんと言えば麻布十番だ。芸能記者にとっては、ただ飲んだり歌ったり遊んでいるだけでも取材した気になれる街だ。いろいろな芸能人に遭遇したが、一番多かったのが志村さんだった。半地下の喫茶店、そして和食屋。1年に2、3回はプライベートの姿を見かけた。

最後に見かけたのは一昨年の秋ごろ。カウンターの大皿にお総菜を盛った、麻布十番の和食屋で友人と待ち合わせた。記者が遅れて入っていくと、入り口そばのテーブルに美女と談笑する志村さんがいた。当時の記者は、病気で頭の毛が抜けてしまった子供にカツラをプレゼントするヘアドネーションのために、ロン毛にして後ろで縛っていた。そう、志村さんと同じ髪形だったのだ。

麻布十番の店ではプライベートの芸能人を見かけても、そっとしておくのが暗黙のルール。志村さんが店を出た後に、居合わせた人たちに「一瞬、志村さんが、また入ってきたのかと思ったよ」と笑われた。志村さんも、こちらを見てニヤニヤ笑っていた。

志村さんが新型コロナウイルスで入院しているのが発表されたのが先月25日。まさか亡くなるなんて思いもしなかった。自粛が求められる一方で、経済活動への影響が懸念されていた。26日の夜に麻布十番の和食屋へ出掛け、取材ともなく志村さんの話を聞いた。

志村さんが最後に来たのは先月10日。友人か仕事仲間と4人で談笑しながら食べ、お酒を飲んでいたという。元気で具合の悪いところなどなかったという話を聞いて、少し安心していた。

それが突然の逝去。あらためて新型コロナウイルスの怖さを思い知った。

志村さんの冥福を祈りたい。