「アホの子は吉本へ入れるで」

大崎洋会長(69)は1953年(昭28)生まれ、堺市(大阪府)で育った。昭和のこの時代、大阪の子どもは、勉強をしなかったり、いたずらをすると、親にこう言って怒られた。同時に、「アホ=おもろいこと」でもあった。大崎氏も、そんな典型的な“大阪の昭和の子ども”の1人だった。

大崎氏は78年に吉本興業へ入社。82年の同社東京進出時には若手社員として赴任したが、後に大阪へ戻り、心斎橋筋2丁目劇場から、名物番組「4時ですよ~だ」を生み、ダウンタウンを世に送り出した。その人気は社会現象化。「おもろいこと」を追い続け、再び東京を拠点とし、ダウンタウンをはじめ、大勢の人気芸人を育て、東京で「吉本ブランド」を磨き上げた。

09年には社長に就任。当時から「吉本は大阪に育てられた。大阪に恩返しをせないかん」と周囲にも、社員にも伝えてきた。

大阪府、大阪市などと組み、御堂筋パレードの盛り上げ、万博記念公園など府内各所を利用したイベントへ積極的に関わるなど、大阪へ人を呼び、金を落としてもらう-。活性化へ協力してきた。

一方で、行政との結びつきは強くなり、それを疑問視する意見も届いただろう。距離感を意識はしつつも、関西活性化への熱量に衰えはなかった。その象徴が「大阪・関西万博」であり、25年に開催が迫る。

大崎氏は、もともと「ずっと自分が(実権を)握ってたらあかん。吉本も次の時代に進まなあかん」と、“次代の吉本”を後継に託す時期を探っていた。今年70歳になるタイミングで、万博へ具体的に動き出した今、「大阪への恩返し」の意味からも、今回の決断に至ったようだ。【吉本(西日本)担当=村上久美子】