ジャパンC制覇が秋の王道G1・3連勝へとつながった。歴史的な一戦の裏側に迫る連載「G1ヒストリア」は、04年ジャパンCの覇者ゼンノロブロイをピックアップする。同馬を手がけた藤沢和雄元調教師(72)が当時を振り返り、G1未勝利の善戦マンが天皇賞・秋から勝ち続けた理由を明かした。

04年、ジャパンCをゼンノロブロイで制し鞍上でガッツポーズのペリエ騎手
04年、ジャパンCをゼンノロブロイで制し鞍上でガッツポーズのペリエ騎手

「どうだい、元気にやってるかい? 最近、予想は当たってるのか?」。イクイノックスが勝った天皇賞・秋の3日後、藤沢先生(和雄元調教師)のもとを訪ねると、いつもの元気な声が飛んできた。「テレビで見ていたよ。いい競馬だったな。日本の馬がこれだけ速く走れるようになった。1分55秒2か。逃げる馬がしっかり逃げたのもよかった。クリストフ(ルメール)の手応えも違ったね。次もいいレースが見られるといいな」。世界に近づくために始まったジャパンC。不思議なことに名伯楽、藤沢和雄元師の勝利は04年の1度だけ。00年テイエムオペラオーに続く、史上2頭目の「王道G1・3連勝」を達成したゼンノロブロイの勝利だった。

3歳時はダービー2着、菊花賞4着、有馬記念3着。4歳の春は日経賞2着→天皇賞・春2着→宝塚記念4着。当時のロブロイはG1未勝利の善戦マンにすぎなかった。それでも「あの時はロブロイが秋に3つとも勝つためにはどこから始動するべきか。何度も何度もそればかり考えていた」と振り返る。02、03年秋に王道G1・3戦に挑んだのがシンボリクリスエス。天皇賞・秋、有馬記念を勝ったが、ジャパンCは2年連続で3着に敗れていた。

04年、天皇賞・秋を制したゼンノロブロイ
04年、天皇賞・秋を制したゼンノロブロイ
04年11月、ジャパンCに向けて、ゼンノロブロイの追い切りを終え笑みを浮かべる藤沢和師(左)とペリエ騎手
04年11月、ジャパンCに向けて、ゼンノロブロイの追い切りを終え笑みを浮かべる藤沢和師(左)とペリエ騎手

「10回の調教より1回の実戦。1回レースを使うと、それだけ馬は仕上がっていく」。秋の始動戦に選んだ京都大賞典はナリタセンチュリーの強襲で首差2着に敗れたロブロイは思惑通り、体調は緩やかに上昇を始めた。天皇賞・秋は同じ厩舎の桜花賞馬ダンスインザムードをわずか1馬身1/4差捉えた勝利だが、外枠(13番枠)の不利を克服した。続くジャパンCは同厩舎マグナーテンが逃げる展開の中団を進み、直線は馬場の真ん中を抜けてきた。ゴールの瞬間、鞍上のペリエ騎手の左手が上がる。2着コスモバルクに3馬身差の圧勝だった。

振り返ると、低評価だった外国馬5頭もなかなか骨太だ。ポリシーメイカーはサンクルー大賞で2年連続2着。フェニックスリーチはその後に転戦した香港ヴァーズ、ドバイシーマCを連勝。イタリアのG1を勝っていたリュヌドールは繁殖入り後、フィエールマンを産んだ。G1・2勝パワーズコートは天才エイダン・オブライエン師が初めて日本へ送った管理馬。ウォーサンはコロネーションCとバーデン大賞を連覇した。

04年の有馬記念を制したゼンノロブロイ
04年の有馬記念を制したゼンノロブロイ

レコード決着だった暮れの有馬記念は2番手追走の積極策で逃げたタップダンスシチーをねじ伏せた。「最初(天皇賞・秋)を楽に勝てるようでなければ、3つとも勝つことなんてできない。いろんなジョッキーにお世話になったけど、あの時3つ勝つことができたのはオリビエ(ペリエ)の存在も大きかった。ロブロイは血統も良くて、本当に素晴らしい馬だったよ」。その後に秋G1・3連勝を達成した馬はいない。95~04年に記録した10年連続リーディングの金字塔。「最強」藤沢和雄厩舎を象徴する1頭がゼンノロブロイであり、ジャパンC制覇だった。【木南友輔】

 
 
 
 
 
 

◆ゼンノロブロイ 00年3月27日、白老ファーム(北海道白老町)生産。父サンデーサイレンス、母ローミンレイチェル(母父マイニング)。牡、黒鹿毛。馬主は大迫忍(05年の英国遠征から大迫久美子)。00年のセレクトセール当歳部門にて9000万円(税抜き)で落札される。通算成績は20戦7勝(重賞5勝)。05年有馬記念8着を最後に現役を引退して種牡馬入り。産駒には10年のオークス馬サンテミリオンなどがいる。22年9月に心不全のためこの世を去った。