サッカーW杯のアジア2次予選が5日から始まる。日本の戦いもさることながら、個人的に注目度が高いのは西野朗前日本代表監督が指揮を執るタイ代表だ。ほほえみの国と西野さんをつなぐ縁を思い返し、64歳の新たな門出にエールを送りたい。
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カンカンカンカン…。もう四半世紀も前のことなのに、不快な金属音が耳の奥によみがえってくる。
95年5月、タイの首都バンコクから車で約3時間、スパンブリという小さな街でサッカーのアトランタオリンピック(五輪)1次予選があった。西野さんは五輪世代の日本代表監督。後に、28年ぶりに五輪出場を決め、本大会では王国ブラジルを破ったマイアミの奇跡につながる出発地点だ。
スパンブリでの初戦は地元タイ戦。夜でも40度近い暑さと慣れないピッチの完全アウェー状態だった。ラフプレーまがいの反則にもめげず、日本は下馬評通り、5-0で完勝したが、選手たちは試合前から心理的なダメージを負っていた。
試合当日、主力選手がホテルで現金の盗難に遭っていたのだ。同じ組の台湾もチームの遠征費100万円相当が盗まれていた。地元記者が「あちこちから窃盗集団が来てるかも」と話していたように、報道陣の宿舎でも盗難被害があった。
数年後、ガンバ大阪の監督となっていた西野さんとスパンブリの思い出話になった。「あのときは参ったよ。夜中に選手たちがスタッフのところに来てさ、うるさくて眠れないから部屋を代えてくれって言い出してさぁ…」。実は試合前夜から選手たちは“見えない敵”と戦っていたという。
カンカンカンカン…。
深夜、部屋に伝う配管を、誰かが、どこかでたたく音が鳴りやまなかったそうだ。配管工事? 真夜中に? そんなはずはない。「あいつら、そこまでやるのかよって。じゃあ、絶対負けるわけにはいかないって燃えたな」。西野さんは当時の怒りを思い出したかのように語気を強めていた。
誰の仕業なのか、何の目的なのか。もちろん、タイ代表関係者が関わったアウェーの洗礼だという証拠など何もない。ただ、若き日本代表をやる気にさせる謎の音があったということだけは確かだ。
何かの因縁なのか、西野さんにとっても思い出深いタイが新たな挑戦の場所になった。「選手がインターナショナルになっていく時代に指導者がドメスティックなままじゃダメなんだ。もっと海外に出て行かなきゃ」と力説していた西野さんに、ようやくその時がきた。5日、ホームのベトナム戦でその幕を開ける。
25年近く前とタイのサッカー事情も国の情勢も違う。西野さんなら、見えない力を借りなくとも、日本の脅威になるようなチームを作ると期待している。寺社仏閣巡りの趣味は、タイでも続きそうだが…。【元サッカー担当・西尾雅治】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サッカー現場発」)
◆西尾雅治(にしお・まさはる)1992年(平4)大阪日刊スポーツ入社。同年5月からサッカー担当。ガンバ大阪を中心に関西Jクラブ、日本代表を取材。98年から近鉄、阪神。02年にサッカー担当に復帰。05年のガンバ大阪初優勝ではダンディー西野氏の男泣きに感動。野球デスク、部長を経て18年11月から西日本本社の編集局次長。