就任から2週間がたったガンバ大阪の松田浩新監督が2日、62歳の誕生日を迎えた。J2自動降格圏の17位で片野坂前監督からバトンを受け、現在はJ1残留圏の14位。初陣は黒星発進だったものの、2連勝で一気に順位を上げた。

8月上旬にコーチとして入閣し、1週間で監督に。めまぐるしい環境の変化の中、試合での冷静な采配、立ち居振る舞い、インタビューでの紳士的な口調に、愛称マツさんの人柄がにじんでいる。

4-4-2システムで組織的な守備ブロックを武器に、最近は2試合連続無失点が続く。ヴィッセル神戸やアビスパ福岡でも監督経験があり、理論派でも知られているが、根は熱血漢。選手に求める最終的なところは精神的な部分だ。

G大阪で指揮を執り始めたこの2週間でも、選手に対し、印象的なコメントを残している。

「『残留できなければ』などとネガティブな思考になると、体は硬直してパフォーマンスは低下するのが人間の仕組み。メンタルを整えてほしい。勝負にはこだわってほしいが、結果にはとらわれないでほしい。責任を取るのは監督だ」

これはJリーグ元年の前年にあたる92年、松田監督が当時、選手として所属していたサンフレッチェ広島で、スチュワート・バクスター監督から受けた助言に似ている。

松田監督は31歳の若さで1度は現役を引退し、92年は英国人の下でコーチに就任していた。だが、故障者が続出したクラブ事情から現役復帰を要請され、コーチ兼任ながら再び公式戦に出るようになった。

「僕のような現役から身を引いた人間が戻ることによって、後輩の道を閉ざすことにならないか」と悩む松田監督に、バクスター監督は「どの選手を起用しようが、私が責任を持つ」と背中を押してくれた。当時の4-4-2システムや規律の大切さなど、同監督からの影響を多く受けた。

筑波大時代までは基本はDF(センターバック)だが、FWとして大学選手権優勝経験がある。恵まれた体格から放つシュートは破壊力満点だった。

現役復帰2年目の93年5月22日、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)戦ではDFで先発し、前半終了間際に伝説に残る約35メートルのロングシュートを決めた。

現役に戻っていなければ、選手としての経歴はJリーグに残せなかった。

今回のG大阪への入閣も、6月にJ2V・ファーレン長崎の監督を解任され、フリーの立場だったからこそ声がかかった。

屈指の進学校・長崎北高時代から頭脳明晰(めいせき)なサッカー選手として有名だった。筑波大では1年間の留学先ブラジルでポルトガル語を習得し、就職した大手自動車メーカーのマツダでは海外営業部に配属された。社業に必要と感じたため、通信教育で英語を学んだ努力家だ。

広島時代の後輩で、同じ長崎出身のMF森保一(現日本代表監督)は8学年下にあたる。今や大ベテランの指導者になった松田監督が、低迷するG大阪をJ1残留という最大のゴールへと導けるか。今季残りは7試合。3日はホームで今季初の3連勝を懸けたサガン鳥栖戦に臨む。【横田和幸】