【WBC台湾代表】西武・呉念庭 超伝説の「9回2死」を流暢に/ホープに聞く〈6〉

西武の呉念庭内野手(29)は、表情にあどけなさを残しながらも、今年で30歳になります。台湾から日本にやって来て、今年で15年目。節目の年は、台湾代表に選出されたWBCから。現在、台湾での1次ラウンドを戦っています。年季の入ったガッツポーズとともに、球春を迎える思いを話してくれました。

プロ野球

台湾15年、日本も15年目

呉念庭が初めてWBCに出場する。たかぶりは。

「野球やってて、夢でもあったので。初めてということで、興奮というか不安もあるし、責任感もあるので。とはいえ自分は変わらず野球をやっているので、野球をやるのは変わらないので、一生懸命やっていけたらいいなと思います」

不安、と言った。

「初めての経験なんで。野球やるのはもちろん変わらないんですけど、台湾開催ですし、興奮もしますので。早めに調整するのも初めての経験なので、そこの不安ですね。でもやっていけば自信はあるので。試合に対する不安だけですね」

南郷キャンプを離れるため、ナインへあいさつ。熱い激励を受け台湾代表に合流した=2023年2月

南郷キャンプを離れるため、ナインへあいさつ。熱い激励を受け台湾代表に合流した=2023年2月

プールAに入った1次ラウンドは、故郷の台湾での開催だ。熱気もすごい。

「負けられないプレッシャーは『ない』って言ったらうそになるんですけど、期待も大きいですし、期待に応えたい気持ちはやまやまあるんで。あとは自分にプレッシャーをかけないように通常通りやっていけば、台湾の皆さんの応援が力をくれると思うので」

◆呉念庭(うー・ねんてぃん)1993年6月7日、台湾・台北市生まれ。新北市立汐止国民中学から岡山・共生高へ留学。11年12月、四国IL・愛媛からドラフト指名されるも入団せず第一工大へ進学。15年ドラフト7位で西武入団。16年7月10日オリックス戦でプロ初出場。17年オフ、アジアプロ野球チャンピオンシップで台湾代表入り。22年は94試合に出場し、打率2割2分7厘、5本塁打、28打点。178センチ、75キロ。右投げ左打ち。今季推定年俸2800万円。

今年1月に西武担当に着任し、このインタビューが初めての対話だった。呉念庭は想像以上に日本語が堪能だ。「やまやま」というフレーズを、違和感なく会話に差し込んでくる。

「本格的に日本語を覚えたのは日本に来てからですね」

父・呉復連の影響で

台北郊外で育った。中学を卒業し、15歳で来日。岡山共生高校から第一工大を経て、15年ドラフト7位で西武入り。日本の高校、大学を卒業したため、外国人枠には入っていない。

父の呉復連氏は台湾球界でならした名選手。台湾プロでは渡辺久信GMとチームメートだった。来日の決断にはそんな縁も。

「父親の影響も大きかったですね。日本でのプレーを経験したら、いい経験になるって言われたので。当時から日本のプロ野球も大好きでしたし」

台湾OB選抜対巨人OB選抜で高橋由伸(右)と話す呉復連。「日本でのプレーを経験したら、いい経験になる」の言葉が、息子を日本球界へ=2016年11月

台湾OB選抜対巨人OB選抜で高橋由伸(右)と話す呉復連。「日本でのプレーを経験したら、いい経験になる」の言葉が、息子を日本球界へ=2016年11月

ゲームや漫画で甲子園の存在も知っていた。

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1980年11月、神奈川県座間市出身。法大卒、2003年入社。
震災後の2012年に「自転車日本一周」企画に挑戦し、結局は東日本一周でゴール。ごく局地的ながら経済効果をもたらした。
2019年にアマ野球担当記者として大船渡・佐々木朗希投手を総移動距離2.5万キロにわたり密着。ご縁あってか2020年から千葉ロッテ担当に。2023年から埼玉西武担当。
日本の全ての景色を目にするのが夢。22年9月時点で全国市区町村到達率97.2%、ならびに同2度以上到達率48.2%で、たまに「るるぶ金子」と呼ばれたりも。