【宇都宮ブレックス〈12〉渡邉裕規】「ナベタイム」の原点をたどって~覚醒編~
「ナベタイム」はブレックスファンにとって心躍る時間だ。渡邉裕規選手(35)のシュートが1本、また1本とネットを揺らすたびにファンのボルテージが上がり、アリーナの雰囲気は一変する。シュートが決まり始めたら止まらない「ナベタイム」は、いまやブレックスの名物であり、ライバルチームが恐れる事象の1つでもある。ゲームの流れを変え、空気を一変させる力を渡邉選手はいつ、身に着けたのだろうか。ヒントを探しに、まずは高校時代の恩師にお会いしてみた。
バスケットボール
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- 〈8〉四家魁人・「兄」の言葉編(上) 「NBAに行け!」
- 〈9〉四家魁人・「兄」の言葉編(下) 「河村超えられる」
- 〈10〉写真で振り返る開幕1カ月(上)
- 〈11〉写真で振り返る開幕1カ月(下)
- 〈12〉「ナベタイム」の原点をたどって~覚醒編~
- 〈13〉「ナベタイム」の原点をたどって~源流編~12月配信予定
「思ったことをハキハキ言う」
東急・三軒茶屋駅から国道246号線を渋谷方面に歩く。渋谷から多摩川までは「玉川通り」と呼ばれ、車の量も行き交う人も多い。しかし、ひとたび246から離れて中に入ると、住宅地が広がるエリアでもある。
渡邉選手の母校、世田谷学園高等学校も閑静な住宅街のなかにあった。10月30日の昼下がりに校門をくぐると、制服のシャツを腕まくりした生徒6、7人が校舎の前の広場でバレーボールに興じていた。
同校バスケットボール部監督の伊藤恒(いとう・こう)先生に促され、2階の、小さいながら明るい部屋に通された。1962年(昭37)に秋田・湯沢で生まれた伊藤先生は、名門・能代工の出身で日本体育大学を卒業。指導者としてだけではなく、審判員としても日本のバスケットボール界を支えてきた。私がルールを勉強するために購入した「わかりやすいバスケットのルール」(成美堂出版)は、偶然にも伊藤先生が監修したものだった。
「彼(渡邉選手)の第一印象ですか。中学3年の彼と体験入部の際に初めて会ったのですが、思ったことをハキハキ言う子だなあと思いました。志望動機とか、高校卒業後はどうしたいのかを聞くのですが、普通の中学生は初めて会った大人にうまく説明できないものです。どんな内容だったかは忘れてしまいましたが、とにかく明確に、はっきりとした口調で自分の考えを述べていたことを覚えています」
以前、私が渡邉選手を取材した際、中学時代に神奈川選抜に入るも高校からの勧誘はなく、進学先を決めるのに苦労したと話していた。自分の力で未来を切り開こうとした渡邉少年の覚悟と必死さが伝わってくる。
伊藤先生によれば、同じ学年に同じくらいの力量の、同じポジション(ポイントガード)の選手がいたという。最初はその選手の方がプレータイムが長く、渡邉選手は後塵(こうじん)を拝していた。しかし、練習や試合で少しずつその選手を追い越していき、2年生に上がるころにはレギュラーの地位をつかみとった。
「毎日毎日向かい合っていれば、選手同士はお互いの力量はわかるものです。フィジカル、テクニック、状況判断。私は選手同士の評価を追認するだけ。彼は自分の力でレギュラーをつかんだ」
強豪校で自らの地位を確立した渡邉選手だが、インターハイやウインターカップの予選ではチームは勝てなかった。全国大会に出て、高校世代のトップたちと真剣勝負する機会にはなかなか恵まれなかった。
国体出場、埼玉との決勝戦で「ナベタイム」発動
しかし、転機が訪れる。2004年、国体少年男子の東京都代表監督だった伊藤先生は、2年生の渡邉選手を12人のメンバーのひとりに抜てきした。合宿などを通じて選手の組み合わせなどを試した伊藤先生は、渡邉選手をベンチに置き、試合の流れを変えたい時に起用する方針を立てた。
「最初から試合に出た方が力を発揮するタイプと、途中からでも同じようにプレーできる選手がいる。彼は気持ちをパッと100%に持って行けるのが特徴でした」
指導歴40年を超える伊藤先生によれば、試合直前にウオーミングアップしたあと、いったん集中力が途切れることがよくあるという。しかし、渡邉選手の場合は全くなかった。ベンチに座っているときでも、「自分だったらどうするか」を常に考えていたという。
「流れを変えるのは得点だけではありません。守備やボール運び、いろいろあります。彼は状況判断にも優れていました。周りを生かすのか、自分で点を取りに行くのか。指示を待たずに自分で判断できるように練習から取り組んでいた」
2004年秋。埼玉国体の1回戦、山口戦で渡邉選手は途中出場で3Pシュート2本を決めるなど、8得点して勝利に貢献。準々決勝の京都戦では14得点、準決勝の福井戦でも10得点と、スタートメンバーをしのぐほどの活躍で、東京を決勝進出に導いた。
10月27日、大東文化大学東松山校舎総合体育館Gコートで行われた埼玉との決勝戦。一進一退の攻防が続いた第2クオーター(Q)残り2分、東京は4試合連続途中出場の渡邉選手の3Pシュートで逆転。第2Qを42-38で終えると、そのまま埼玉を振り切り、84-75で勝った。渡邉選手は3Pシュートを3本決め、チーム2番目の16得点をマークして、東京都の18年ぶり10回目の優勝に大きく貢献した。
まさに「ナベタイム」が発動されたというべき試合ではないか。開催県の埼玉相手にアウェー感はハンパなかっただろう。コート内を激しく動き回り、空気を一変させた渡邉少年の姿が目に浮かぶようだ。
「失敗しても、もう1回トライ」
翌2005年の岡山国体では、スターターとして東京都の2連覇に貢献。決勝の相手は福岡県で、金丸晃輔選手(現・三遠)、並里成選手(現・群馬)らを相手に21得点し、132-97で大勝した。
2度の国体での活躍で、渡邉裕規の名前は広く知れ渡った。伊藤監督にとってもうれしい出来事だった。
「世田谷学園ではなかなか全国に行けませんでしたが、国体で全国の強豪校から選抜された名だたる選手たちと張り合えたことは、大きな自信になったではないでしょうか」
国体での活躍が大学進学につながり、その後のバスケット人生にもつながった。渡邉選手自身の努力が一番ではあるが、伊藤先生との幸せな出会いもまた、大事な要素だっただろう。
「彼の最大の特徴は、失敗しても落ち込むことなく、もう1回トライするところ。そういった姿勢は味方にも相手にも伝わるんです」
「普通は、自分がどう見られているか気にする選手の方が多いのですが、彼は自分のやりたいことを優先する」
「どの場面で、どの能力を使うかは、バスケットボール選手にとって必要かつ大事な能力。高校時代の彼から逆に教わりました」
伊藤先生から賛辞が続いたので、ちょっと意地悪な質問をしてみた。
「渡邉選手に手を焼いたことはありませんか?」
伊藤先生は笑いながらこう答えた。
「勝負に入り込みすぎて、気持ちを抑えるのが必要なことはありました。それでも、『普段通りにプレーしよう』と言うと、すぐに理解して、冷静になるのも彼でした。普段は礼儀正しいし、高校生という立場をわきまえている生徒でした」
熱い感情を隠したりはしないが、自分を見失うこともない。勝負強く、周りを巻き込み、空気を一変させる。高校時代にはすでに「ナベタイム」能力を身に着けていたことがわかった。
世田谷学園を辞して、来た道を戻りながら、ふと思った。そういえば、渡邉選手が生まれ育った川崎市には、ここから電車1本でいける。私は「ナベタイム」の原点をさらにたどることにした。(つづく)
◆渡邉裕規(わたなべ・ひろのり)1988年3月22日生まれ、神奈川県川崎市出身。世田谷学園-青山学院大-JBLパナソニックを経て、2013年に栃木ブレックスに加入した。日本代表には4大会で選ばれている。
(次回は「ナベタイム」の原点をたどって~源流編~です)
1988年入社。プロ野球を中心に取材し、東京時代の日本ハム、最後の横浜大洋(現DeNA)、長嶋巨人を担当。今年4月、20年ぶりに現場記者に戻り、野球に限らず幅広く取材中。
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