普段は温厚で心優しい兄だが、スポーツとなると人が変わったようにストイックになる-。森保の少年時代について、V・ファーレン長崎でU-18(18歳以下)のコーチを務める弟の洋(46)が回想して笑った。「絶対的な兄でしたね」。

 年が3つ離れ、一緒に遊んだ記憶はあまりない。ただ穏やかな兄が勝負事のスポーツになると目の色が変わった。小学生時代は2人で野球に没頭した。兄がピッチャーで、キャッチャーの弟に目いっぱいのボールを延々と投げ込んだ。小6でサッカーを始めてからも弟を練習に連れ出してはDF役をやらせ、自らはもっぱら攻撃役。「もういい、と自分が泣きだしても、平気で続けることもありました」と冗談っぽく笑った。

 負けず嫌いな性格で正義感も強かった。弟は兄と同じチームで試合をしたことはなかったが、観戦した時の兄の姿は覚えている。常にチームの中心で仲間を引っ張っていた。「仲間が削られたりしたら、あとから兄がやり返しにいったこともありました」。勝負事へのこだわりの強さを知るからこそ、妙に納得した。

 家計は楽ではなかった。森保は中学1年から新聞配達のアルバイトをはじめた。「朝がとにかく苦手だった」兄が毎朝5時すぎに起床。新聞およそ100部が荷台に積まれた自転車をこいで約1時間半、町内を回った。休みは約2カ月に1度だった休刊日のみ。そうして得た1カ月1万円と少しの給料でスパイクを買った。「でもそれが普通というか。苦労だとは思っていなかった」。同じくアルバイトで生計を支えた弟が言う。苦労を苦労と思わずに続けられる姿勢は、学生のうちに自然と身についた。

 おごらない人柄は日本代表監督となった今も変わらない。オリンピック代表との兼任という日本人では過去にない重い責務を背負うことになった。その兄に向け「1人のサポーターじゃないですけど、どんなことがあっても支えていきたい」。弟の言葉は力強かった。(敬称略)【岡崎悠利】