代表引退、代表卒業。ベテラン選手が、W杯終了後に口にする言葉で、今は違和感なく受け入れられている。後輩に道を開ける、世代交代などの意味もあり、惜しまれながら慣れ親しんだ青いユニホームを脱ぐ。10年W杯南アフリカ大会後、MF中村俊輔が初めて口にしてから、昨年ロシアW杯後は長谷部誠、本田圭佑らが続いた。

遠藤保仁(39=G大阪)はその言葉に違和感があるという。「選手それぞれの考えは尊重するよ。でも僕は、代表は引退したり、卒業するものではないと思っている。現役を引退するまで代表は狙い続けるもの。実力が足りないと呼ばれないし、所属チームで代表にふさわしいプレーが続くと呼ばれる。また代表に呼ばれたい、代表ユニホームを着たいという気持ちがあるから、僕は今ガンバで頑張っている。その気持ちがなくなった時が引退の時かな。僕はカズさん(三浦知良)の道を歩んでいきたい。いつまでも代表にこだわる姿は格好いいと思うし、尊敬する」。

代表へのこだわりが強くなったのは、初めてA代表に呼ばれた02年から。W杯日韓大会後にジーコ体制になって初めて日本代表から声がかかった。それまで各年代で日の丸を背負ったが、A代表は別格だった。「日本中が応援してくれるし、関心を持ってくれる。“日本を背負う”という言葉の重みが日に日に増してきた」。それから日本代表としては最も多い、国際Aマッチに152度も、ほとんどスタメンでピッチに立った。

約10年前、W杯アジア予選が終わった直後から約半年かけて、ほとんどの代表選手に「10年W杯南アフリカ大会に選ばれたらどういうプレーを見せたいのか? 世界相手に試したいプレーは? W杯メンバーに選ばれるためにアピールしたいポイント」などを聞き回ったことがある。質問の趣旨とは違うが、遠藤の答えがすごく新鮮だった。

遠藤 日本のために戦いたい。

韓国人の私の心にも響く遠藤の言葉「日本のため」。その日以来、私の目には彼が格別な存在に映っている。【盧載鎭】