現役ラストマッチを終えた鹿島DF内田篤人(32)へ。元日本代表監督の岡田武史氏(63=J3今治オーナー)が、ねぎらいのメッセージを寄せた。2度目の就任初戦となった08年1月26日の国際親善試合チリ戦(0-0)でA代表デビューさせたこと、10年前のW杯南アフリカ大会で1度も起用しなかった理由を、連載「ウッチーに贈る言葉」で明らかにした。

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岡田氏も電撃発表には驚いた。「ウッチーご苦労さま。まさか、もう引退とは…しかもシーズン中に。もう一花、日本で咲かすつもりだっただろうし、僕らも期待していただけに残念。それほど負傷が深刻だったのか心配したけれど、発表後に『ぜひお食事に! どこにでも行きます』と明るい返信をくれたのでホッとしたよ。(最終戦の後)まずはゆっくり休んでください」と決断を尊重した。

08年チリ戦。オシム監督から受け継いだ後、注目の初陣で内田を先発に抜てきした。19歳305日。「初めて鹿島を視察した時に衝撃を受けた。長い距離を駆け上がってドリブルで突破してクロスを上げて。パスの出し方も受け方もいい。今までスピードがある選手はいたけど、うまくて頭も良かった。すごい選手になるんだろうな、こんなサイドバック(SB)が日本にも出てくるようになったか」と感じたことを思い出す。

チリ相手にいきなり先発させ、後半26分に交代。無失点だった試合で「どこまで持つか見ていたけど、ずいぶん持ったな」との言葉で評価した。そこから6試合連続でスタメン起用。同年6月22日のW杯南アフリカ大会3次予選バーレーン戦では20歳87日で初得点した。代表のW杯予選での最年少ゴール記録。国際Aマッチ出場74試合のうち31試合が岡田ジャパンだった。

内田からも慕われた。昨年、内田が鹿島入団3年目で多少の伸び悩みが見られたMF安部裕葵(現バルセロナB)について見解を求められた時、こう答えた。「俺も代表2、3年目のころに岡田さんの部屋に呼ばれて『ボールが怖いか』と聞かれた。『怖くない』と強がったら『うまくいってないよね。(第1次の岡田監督が98年に抜てきした17歳の右SB)市川大祐みたいに10代から活躍してきた選手は2、3年目でうまくいかなくなる時がくるんだよ』と言われた。どうしたらいいかアドバイスもくれたんだけど、こんな大事なこと、今ここでは、もったいないから言わないよ」。

このエピソードについて岡田氏は「確かに話をした記憶はあるね」と懐かしそうに振り返る。「怖いもの知らずの10代が成功して名前も売れてくると、次第に怖いものを知ってしまう。それで『ミスしたくない』とボールを受けたくなくなる時期がくる。ウッチーはそれが短い方だったけど、そう見え始めたので呼んで話をした。どう乗り越えるか。特に若くして活躍した選手は苦労するけど、みんな必ず通る道だからと。アドバイスというか、そういう話はね」とピッチ外でも気にかけ、指導してきた。

一方で10年のW杯本大会では内田を1試合も起用しなかった。直前に今野、駒野へ代えた。「当時の代表チームの力で勝つには、やはり鍵は守備。ボール際で闘えるかどうかが最も大事なことだった」。スピードでは、09年の親善試合でオランダ代表FWロッベンとも渡り合った内田。「もちろんウッチーを使っても機能した可能性は十分あったけど、タイミングという要素もあってバチッと大会にピークが合う選手もいる。そことの比較もあって、あの時の自分には使い切れなかった」。史上最高タイ16強入りの裏にある、非情の決断を忘れたことはない。

その悔しさをバネに、内田はブンデスリーガ挑戦を決意した。「そう人づてに聞いて、ずっと『頑張れよ』と思っていた。シャルケは、ドイツでもバイエルン・ミュンヘンやドルトムントに匹敵する人気を誇る、すごいクラブ。そこで中心選手になること自体、大きなチャレンジに成功した証し。さっきアドバイスと話したけど、彼は理解力があるから監督に言われてどうこうではなく、助言をかみ砕いて試行錯誤できるタイプ。ただ言われたことをやる選手ではない。だから成長できたと思っている」。

4年後の14年W杯ブラジル大会。現地で生解説した岡田氏の眼下には、全3試合にフル出場した内田の姿があった。「ちょっとしたボタンの掛け違いで1次リーグ敗退となったけど、本当にいいチームだったと思う。その中で、あれだけ攻撃的にプレーできるSBは歴代でも屈指だろうね。今でこそ出てはきたけど、ウッチーは時代を先取りしたような、日本にはいなかったタイプのSBだった」と強く記憶に刻まれている。

「ドイツでも何度か会った。シャイだったけど、純粋で気持ちのいいアスリートだった。あれだけの容姿で…今まで遊んで身を滅ぼす選手は山ほどいたけど、よく自らを律した」と笑って話しつつ、今後については「実は、あまり指導者というイメージが沸かない。頭が良くて全体を見られるから(強化責任者の)スポーツディレクターやゼネラルマネジャーの方が合いそうだ。いずれにしても、今は決断したばかり。落ち着いたら会って話を聞いてみたいね。どんな形であれ、日本サッカーのために何かしてくれる男だと思う」。引退後も、日本にはいなかったタイプの役回りを内田には期待する。【木下淳】