サッカーの元日本代表主将DFで、日本サッカー協会(JFA)専務理事の宮本恒靖氏(47)が23日、第15代会長に正式就任した。同日、都内で開かれた評議員会で承認され、直後の臨時理事会での互選で決まった。戦後最年少で、史上初のJリーグとFIFAワールドカップ(W杯)経験者の就任となる。

会見では「評議員会と臨時理事会を経て、第15代目の会長を拝命することになりました。自分1人では何もできないので、皆さまの協力を得て、日本のサッカー、世界のサッカーに貢献していきたい」と所信表明した。

「強い代表チームを持ち続けることが大事。A代表だけではなく、女子、フットサル、ビーチサッカーも強くしていかないと」と視野を広く、競技面の成果をより求めていく。

「SAMURAI BLUE(男子A代表、が初の)W杯ベスト8、さらにその上にいけるようサポートしていく。なでしこジャパンも再び世界一になるように。『2005年宣言』にあるように、再び2050年までに日本でWを開催して、日本代表が優勝できるようにしたい」

大目標を踏襲し、その可能性を高めつつ、女子の2031年W杯招致を目指すことも約束した。

JFAは昨年末、次期会長の選定を開始。2016年(平28)から4期8年間、会長を務めた田嶋幸三氏(66)の退任に伴い、立候補者を募った。

2人から届出があり、宮本氏が唯一、条件をクリア。23年12月24日の臨時評議員会で信任投票が実施され「会長予定者」と認められていた。この日が決定プロセスの最終段階だった。

現役時代は、ガンバ大阪ユースから95年6月にトップチーム昇格。10代から活躍した一方、大阪の進学校・生野高から同志社大に進んで経済学を専攻した秀才だった。プレーでも最終ラインの中央に君臨し、G大阪では05年のリーグ優勝などに貢献。06年からはオーストリア1部ザルツブルクなどで海外経験を積み、国内復帰後の11年12月にヴィッセル神戸で現役引退した。

13年7月に、国際サッカー連盟(FIFA)が実施している大学院コース「FIFAマスター」を卒業した国際派としても知られる。

日本代表としては02年W杯日韓大会で初の16強。06年ドイツ大会にも連続出場した。鼻骨の骨折をフェースガードでカバーした「バットマン」としても話題になった。04年アジア杯のヨルダン戦で、PK戦のゴール変更を主審に申し入れ、劣勢から逆転勝ちを演出した場面はあまりにも有名だ。

U-17(17歳以下)日本代表からA代表まで全カテゴリーで主将を務めるなど、そのリーダーシップは実証済み。G大阪の監督など指導者も経験した。22年3月、JFA理事に就任。これまでに会長補佐と国際委員長を兼務し“次期会長”として帝王学を学んできた。翌23年2月、専務理事に就任。ついには47歳の若さで、日本最大規模の国内競技団体(NF)のトップに上り詰めた。