<14年12月、タイ・バングラデシュ遠征>

 約2カ月半ぶりの活動は出発から波乱含みだった。予定では東京・羽田空港を午前に出発する便でタイに飛ぶはずだったが、機体トラブルで遅延・急きょ千葉・成田空港の夕方便に振り替え、空港間を一般の乗り合いバスで移動するハプニングに見舞われた。さらに成田でも1時間遅れ。バンコク初練習が中止に追い込まれた。通常は7時間程度のフライトが計19時間にも延びたが、ポジティブな手倉森監督は気にしない。「(五輪開催地の)リオデジャネイロまで行く時は、さらに7時間かかる。いい経験だ」と選手に強調した。

 ▼国際親善試合(対U−21タイ代表)2○0【得点者】豊川雄太、鈴木武蔵

 この活動から初めて海外組とU−19代表から招集が認められ、ヤングボーイズのFW久保、C大阪MF南野が参加した。ただ、タイ戦は合流直後とあって2人とも途中出場。その中で輝いたのがMF豊川だった。

 前半、MF矢島の右からの折り返しに右足で合わせて代表初ゴール。所属の鹿島と同じ左MFで先発して結果を出し、手倉森監督から「運動量、仕掛け、思い切りがいい。可能性を最も示した」と絶賛された。チームは翌15年3月のリオ五輪アジア1次予選(マレーシア)に向けて「4−4−2」システムをテスト。9月の仁川アジア大会(韓国)で使った4−3−3と比べ、前線4枚が少ない手数で攻める省エネ陣形を試した中で豊川が機能し、1次予選メンバーに昇格した。

 ▼国際親善試合(対バングラデシュA代表)3○0【得点者】浅野拓磨2、南野拓実

 期待の役者が輝いた。U−19代表からの招集が解禁された南野が、手倉森ジャパン初先発。1得点1アシストといきなり結果を出した。翌15年に広島でブレークすることになるFW浅野も2得点1アシストした。南野は1−0の後半27分に初得点。ゴール前で浅野が落とした球に反応し、DFとGKの間に入り込んで右足でゴール右隅に蹴り込んだ。「初ゴールは素直にうれしいし、14年最後の試合を勝って締めくくれて良かった」と融合に成功した。

 試合会場は芝より土と雑草の方が目立つほど荒れ、試合中にアザーン(イスラム教の礼拝の呼び掛け)が大音量で響き、バングラデシュ国民が大絶叫した。異様な雰囲気の中で当時FIFAランキング165位の相手に前半0−0と苦しめられたが、後半に修正。30分に浅野の2点目をアシストするなど違いを見せた。

 遠征直前に極秘渡欧してザルツブルクを訪れていたため3日遅れの合流となったが、手倉森監督に「一気にU−19から21に割って入ってきた」と言わしめた。一方の久保も初先発したものの、右太ももを痛めて前半だけで交代。無念の離脱となったが、練習では指揮官から「レベルが1ランクも2ランクも上」と高く評価され、1次予選への期待が高まる初参加となった。