電撃の退任劇だった。9日夜、ベガルタ仙台は渡辺晋監督(46)を筆頭に選手、スタッフ、菊池秀逸社長(67)らフロントが集結し、仙台市内のホテルでスポンサー謝恩パーティーを開催した。会の冒頭、渡辺監督は壇上でスピーチ。今季成績を反省する言葉こそあったが、その先に触れることなく、話を終えていた。

開宴前、報道陣はパーティー終了後に囲み取材があることだけを知らされていた。華やかな会も終わり、報道陣約20人はホテルの一室に集められた。緊張感が漂う中で、午後9時20分頃、丹治祥庸強化育成本部長(47)が室内に現れると、間もなく、渡辺監督の今季限りでの退任が報告された。そして30分後、当初は予定されていなかった、渡辺監督が報道陣の前に現れ、自身の口から退任を受けた本音を語った。時計の針は、午後10時を回っていた。(以下、渡辺監督の一問一答)

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-退任の経緯は

7日の広島戦が終わり、仙台に戻って話し合いがありました。クラブの決断を通知され、それを私が受け入れる形になりました。現役時代を含めると19年。本当に長い間、さまざまな経験をさせてもらいました。

-19年間の思いは

現役の時もけがで苦しんだり、チームもJ1昇格、J2降格と、いろいろなものをピッチの上で味わいました。その後、監督にまでならせてもらいました。どれだけ恩返しをできたかというと物足りなかったと思います。私の力不足。それでも期待してくれたクラブの存在があったのは、感謝のひと言しかありません。

-次のステージへ思い描いていることは

私の元に何か話があるというのは、まだないです。次、何するかも正直考えられないですし、ゆっくり考えようと思う程度です。サッカー、選手を鍛え上げることが好きなのを、ここ1日、2日で感じることができたので、またどこかで球蹴りしていると思います。

-選手たちにどのように伝えたか

感謝の気持ちと、彼らを理想のところに引き上げられなかった申し訳なさとかを伝えました。あとは同じサッカー界でやっていくことになると思うので、また縁あって同じチームで仕事をするかもしれないし、もし俺が誘ったら嫌と言わずに来てくれと伝えました。

-監督での6年間は

達成感より悔しさの方が多いと思います。現役生活を含めてそういう悔しさ、自分自身のふがいなさをエネルギーに歩んできた自負はあるので、またどこかで「ベガルタの悔しさを糧に頑張ってるな」という姿を見せられればと思います。

-サポータへの思いは

彼らの笑顔と、ときには涙と。そういうものは間違いなく僕の中で生き続けると思います。去年の天皇杯決勝で勝ち、タイトルを取って、みんなが喜ぶ姿を見たかったです。僕に届けてくれた声援、勇気に対する恩返しは足りなかった。ずっと背中を押してくれた彼らには感謝しかないです。

-貫いてきたことは

選手を誰よりも見てきたことです。試合は勝ち負けが生まれるもので、終わった後に「何であいつを使わなかった」とか、いろいろな人が考えると思いますけど、それでも自信を持って11人、(ベンチ入り)18人を選び、それに対しては、すべて説明がつく。その自信はあるので、仮に選手がピッチの上でいくら失敗しようとも、俺が責任を負うと常に思ってました。

-志半ばか

5年後、10年後に同じ質問をされても、こう言うと思います。「常に志半ば」。成功はないのかなと。仮にタイトルを取ったりしても、目標が達成されたと思ってしまえば、それより先に進む資格はないし、成長はない。指導者、サッカー人、1人の男として常に成長し続けていきたいので、満足することは、この先1度もないと思います。

-ベガルタ仙台とは

19年、同じ街に住んだことは1度もなかったので、クラブだけでなく仙台という街、宮城県、東北、そういうものすべてが僕の中に生き続けます。そう考えると渡辺晋という人間をつくり上げる要素、存在になってしまったのかなと。でも間違いなく僕の財産ですし、血として肉として、これからのサッカー人生を歩んでいけたらと思います。