川崎フロンターレが2年連続4度目のJ1制覇を決めた。4試合を残してのV決定は、昨季に並ぶ過去最速タイ。就任5季目の鬼木達監督(47)は、日本代表の森保一監督(53)らを抜いて、史上最多4度目の優勝を飾った。

歴代最多勝ち点で「圧倒的優勝」と呼ばれた昨季のベースを継続し、シーズン序盤は順調なすべり出しを見せた。開幕から12戦無敗、昨季から30戦無敗と次々に新記録を打ち立て、鬼木監督は史上最速となる156試合目でのJ1通算100勝を達成した。2位横浜F・マリノスとの勝ち点差は、最大で21まで開いた。

しかし、昨季からチームをけん引していたMF三笘薫(24=サンジロワーズ)と中盤の強度を支えていたMF田中碧(23=デュッセルドルフ)が移籍した東京五輪後、チームは苦戦した。8月にはリーグ戦3試合勝ちなし(2分け1敗)、9月にはルヴァン杯とACLで立て続けに敗退と結果がふるわず、アウェー15連戦や過密日程もあって主力にけが人が相次いだ。

2位横浜の追い上げもあり、J1優勝争いは接戦にもつれ込むかと思われた。だが、その後の川崎Fは前半戦と異なる勝負強さを発揮した。韓国でのACL敗退後のリーグ5連戦を、鬼木監督は「勝負の5連戦」と銘打った。連戦、移動、隔離で心身共に疲労困憊(こんぱい)だったが、逆境の中チームはより一体感を増した。3試合連続の逆転勝ちを含む5連勝で完全復調を果たすと、横浜との差を一気に広げて優勝への階段を駆け上がった。

◆川崎フロンターレ 前身は1955年創部の富士通サッカー部。97年にJリーグを目指してプロ化し、川崎フロンターレに改称した。99年にJ2で優勝してJ1初昇格も、1年でJ2へ降格。地域密着の経営方針に転換し、再昇格した05年以降はJ1定着。フロンターレはイタリア語で「正面の」「前飾り」を意味し、常に最前線で挑戦し続け、正面から正々堂々と戦う姿勢を示す。本拠地は川崎市等々力陸上競技場。

 

川崎F4度目V J1連覇、通算300勝 三笘薫&田中碧移籍/写真特集―>

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