選手として川崎F、札幌、大宮などでプレー、今年1月に脳腫瘍のために逝去したJ3大宮の横山知伸U-18フィジカルコーチ兼コーチ(享年38)の冥福を祈り、キックオフ前には黙祷が捧げられ、スタンドからは“横山コール”も起こった。大宮の選手は喪章を付けてプレーした。

「横山知伸メモリアルコーナー」には、横山氏が札幌のアカデミーコーチだった時代に、提携するクラーク高校で約2年半指導を受けたMF中村修斗(19=亜大1年)が訪れ、今は亡き師をしのんだ。

中村は、選手が7人ほどしかいなかったクラーク高サッカー部の創設年に、コンサドーレから派遣された横山コーチと出会った。腰を痛めた時期に、専用のリハビリメニューを作成してもらい、早期復帰にこぎつけた。進路も相談し、亜大に決めた。「必ずプロになって、横さんに良い報告ができるように頑張ります」と涙目で誓った。

横山コーチはミニゲームにも積極的に参加し、練習試合すらできない人数のチームの選手に“プロの技”を指導し続けた。帝京高、早大でいずれも日本一を経験しており「いつか監督として、自分のチームを指揮してみたい」と思いを語ったこともあった。クラーク高校サッカー部の1期生が卒業する際には「夢を持って日々成長して、また成人になった時に会いましょう。これからの君たちの人生に幸あることを祈っています。Boys Be Ambitious!」と動画メッセージを送っていた。

会場に置かれた家族に届けられる横山氏へのメッセージには「横山さんの監督姿と、育てたチームを1度見てみたかった。天国で最高のチームを作って、待っていてください」との言葉もあった。