浦和レッズFW安部裕葵(26)が長期の負傷離脱を乗り越え、4年5カ月ぶりの公式戦出場を果たした。
アウェーの横浜F・マリノス戦で0-4で迎えた後半36分からピッチに立った。バルセロナBに所属した21年5月16日のスペイン2部昇格プレーオフ最終戦(対ムルシア)以来。
「本当は色々と(胸に)来るものがああると思うんですけど、0-4だったので。とにかく点差に関係なく、今まで僕の復帰のために尽力してくれた人にそういう姿勢なりを見せようと思った。そういうのは多少なりとも見せられたんじゃないかなと思います」
鹿島で18年にJリーグのベストヤングプレーヤーに選ばれ、東京五輪世代の中心選手と目された。19年5月に日本代表でもデビューし、同年夏にスペイン1部の名門FCバルセロナのBチーム(FCバルセロナ・アトレティック)へ完全移籍。しかし順風満帆と見えたサッカー人生はケガで暗転した。
20年2月、21歳の時に右太ももの負傷で手術を受けて以降、たび重なる負傷に苦しんだ。
「ケガした時はこんなに4、5年も長くなるなんて思ってもいなかった。常に2カ月後、3カ月後には復帰が待っていると思いながら続けてきて、それで5年がたっちゃいましたけど。別に最初から5年かかると分かっていたら正直やめていました。常にケガもあって落ち込むこともありましたけど、数カ月先にね、そういう希望があったので。あと支えてくれる人もいたので、何とかここまでやってこられました」
21年4月にいったん戦列復帰したが、状況は改善していなかったという。
「その時は本当に足の感覚とかなかった。プレーしながらもなんか、試合には出ていましたけど、これでサッカーできるのかなっていうくらいの感覚でプレーしていた」
23年夏に浦和に完全移籍した。それから2年、ここまで4回くらい試合に出場できそうな機会があったという。
「その週に行くぞっていうタイミングで、前日とか2、3日前になってモモ裏(ハムストリング)に違和感を感じて、それで練習を離脱するというのが4、5回あった」
そして今回も慎重に慎重を期し、調整してきた。浦和に加入して2年以上がたってのデビューとなった。
「出られる状態じゃないとベンチに入る意味がないと思うので。それはずっとスタッフと話していた。チーム内競争とかではなかった。僕の場合は自分が行けるか行けないかっていう基準だった」
空白の5年となった。その間に順調にステップを踏んだかつての仲間たちは、上のステージで活躍している。
「一緒にやってきた同じ世代の人たちは今みんな代表だったり、この間のブラジル戦でもやっていましたけど。バルセロナだったらもう半分以上の選手が一緒にやっていた人たちなので。やっぱりそこを比較してもしんどいだけなので、新しいサッカー人生だと思ってボチボチやって行けたらなと思います」
浦和に加入後も別メニュー調整が続いた。
「とにかく毎日やれることをやって。でも明らかに良くなっているのが分かっていたので。1日1日のスパンで見るといい日と悪い日があるんですけど、やっぱり長い目で見ると明らかに良くなっていたので。そこの自信みたいな、いつかはデビューできるだろうと」
家族や周囲の支えてくれる人たちのために地道にリハビリを続けた。そして実に1616日ぶりのピッチへとこじつけた。
あらためて思うのは健康であることのありがたさ。そしてサッカーが当たり前にできることの幸せだ。
「こういうふうにプレーするのがゴールではあったんですけど、ここまでくるとあくまで通過点なんだなって。やっぱり勝ちたい思いもあるし、タイトルも取りたいとか、良いプレーがしたいだとか。そういうものはやっぱりサッカー選手なので出てくる。ケガと向き合いながらも、また1歩、もう2歩と新しいステップを踏んでいけたら良いなと思います」
そしてサッカー人生第2章は、感謝の思いをより深く胸に刻み込むものになってくる。
「僕をサポートしてくれた人のためと言っていいぐらい、僕のサッカー人生はこれから自分のためとかそれ以上に、本当にいろんな人に頑張ってもらったので、そういう人の人生を背負うくらいの気持ちで、まだ若いのでこれからサッカーを頑張ろうと思います」
ピッチの外でかけがえのない物を多く得て、安部裕葵は帰ってきた。【佐藤隆志】



