サッカーの元ブラジル代表で母国をFIFAワールドカップ(W杯)で3度の優勝に導いた「王様」ペレさんが29日、サンパウロ市内の病院で亡くなった。82歳。同国最大のテレビ局グロボなどが報じた。死因は多臓器不全と発表された。

長女のケリー・ナシメントさん(55)もインスタグラムに「私たちがいるのは全てあなたのおかげ。私たちはあなたを永遠に愛しています。安らかに眠ってください」と投稿し、ペレさんの手に子や孫が重ねたとみられる写真を添えた。

ペレさんは昨年9月に大腸腫瘍の摘出手術を受けて以降、治療のため定期的に入退院を繰り返し、同11月29日から大腸がんの進行を抑えるため再び入院していた。今月18日にはインスタグラムでW杯を制したアルゼンチンを祝福。2年前に死去した同国の英雄ディエゴ・マラドーナさんの名前を挙げ「アルゼンチンおめでとう。ディエゴも笑顔のはずだ」と称賛していた。

しかし、その3日後の21日に医師団が声明を発表。「腎臓と心臓の機能障害について、さらなるケアが必要」と診断され、続々と家族が駆けつけた中、クリスマスも病床で懸命に病と闘っていた。

1940年10月23日、ブラジル南東部ミナスジェライス州トレスコラソンエス生まれ。本名はエドソン・アランテス・ド・ナシメントで「ペレ」は愛称として知られる。プロサッカー選手だった父の移籍に伴い、サンパウロ州へ移住。15歳だった56年にサントスFCに入団し、翌57年に16歳9カ月(当時史上最年少)でブラジル代表入りした。

伝説の始まりは17歳だった58年。W杯スウェーデン大会に初出場し、準決勝のフランス戦でハットトリックを達成した。決勝スウェーデン戦では2発で優勝に貢献。準々決勝ウェールズ戦で決めた17歳7カ月23日での得点は、現在も大会最年少記録として破られていない。この大会中、順番で割り当てられた背番号が「10」だったことから、サッカー界のエースナンバーとして以降定着した。

173センチと小柄だったものの、高いシュート技術やドリブルを武器に活躍。W杯は62年チリ大会、70年メキシコ大会も優勝し、今も世界で1人しかいない「W杯優勝3度」を経験した選手となった。W杯では通算14試合12得点、ブラジル代表では91試合77得点の記録を残している。現役生活で通算1281ゴールを決めたとされている。

77年の引退後は国際国際サッカー連盟(FIFA)のフェアプレー委員、UNICEF国連児童基金(ユニセフ)の親善大使として世界中で活動。95年にはスポーツ相に就いた。FIFAによる「20世紀最高の選手」に選ばれたレジェンド中のレジェンドで、まさに世界の「キング」だった。

 

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