[ 2014年2月5日8時52分

 紙面から ]<連載:浅田真央

 悲願女王へのラストダンス第6回>

 姉妹はハンガリーのブダペストにいた。街の中心を流れるドナウ川を横目にしながら、浅田真央は姉の舞と2人っきりで、町を巡り巡った。12年夏、太陽がまぶしい世界遺産の古都で、浅田は少しずつ再生の時を迎えていた。

 11-12年シーズンの最終戦だった世界選手権は6位。成長の手応えを失い、11年末に他界した母の悲しみも募った。スケートへの意欲をなくし、佐藤コーチからしばらくリンクを離れることを勧められた。

 そんな妹の苦悩を見た姉は、競技のことは話題にせず、ただ寄り添った。バレエレッスンのためハンガリーに向かった妹に現地で合流。忙しくて取れなかった姉妹の時間を一緒に過ごした。英語表記もない、誰も2人を知らない、初めて訪れた町。世界で2番目に古い鉄道の地下鉄の切符を買うのも一苦労。でも、それが楽しかった。フィギュア漬けでない毎日-。バレエ観劇をし、食事をする。バラの形をしたジェラートを食べながら、将来のこと、恋の話など、時間はあっという間に過ぎた。

 当初は2週間滞在して米国に移動する予定が、浅田は「もうちょっといます」とおねだり。それから1週間過ごして、ようやく欧州を後にした。姉との会話、解放感に、心が少しずつ前を向いていった。

 それより少し前、5月のカナダでは、大きな優しさに出会っていた。振り付けを手がけるローリー・ニコル。来季のSPのため用意してくれていた曲は「アイ・ガット・リズム」。1930年作曲のジャズの名曲で、歌詞は「人生って輝く太陽みたいにもなるのよ。ため息なんてつくこともなく♪…」と始まる。そこにはニコルの「毎日リンクに来るのが楽しくなるように」との願いが込められていた。悩む浅田のため、フィギュアの曲自体に「再生」への思いを込めていた。自宅にも招き、湖畔でカヌー体験などもさせてくれた。そんな心遣いに、次第に浅田の表情も晴れていった。

 ハンガリーから帰国後、再会した佐藤コーチに伝えた。「心配をおかけしましたが、もう大丈夫です」。12-13年シーズンへ気持ちが前を向いた。そして感じていた。「やっぱり自分はスケートが好きなんだな」と。(つづく)