【ドーハ=上田悠太】日本陸連の要項の不備で、1度はエントリーできない状況となったが、招待枠で追加出場となった男子10種競技の右代啓祐(33=国士舘ク)は7545点の16位だった。

大きな体を揺すりながら、最終種目の1500メートルを走り終えた。1度膝に手をつき、トラックにあおむけに倒れ込んだ。2日間。10種目。長く戦いを乗り越えたライバルは、戦友になる。手を合わせ、抱き合って、健闘をたたえ合った。

世界選手権は11年大邱大会が20位(7639点)、13年モスクワ大会は22位(7751点)、15年北京大会は20位(7532点)、17年ロンドン大会は20位(7498点)だった。5度目の出場にして順位は最高だった。

1日目の5種目を終えては、3766点の23人中20位。2日目では3779点を加算し、順位を4つ上げた。

“ドタバタ劇”の末に立った舞台だった。16年リオデジャネイロ・オリンピック(五輪)では旗手を務めた“和製ヘラクレス”こと右代は、4月のアジア選手権と6月の日本選手権を制し、日本陸連が定める世界選手権の代表に決定。日本陸連の選考要項では、アジア選手権優勝者は、世界選手権の参加標準記録の突破に匹敵することになっていた。しかし、国際陸連は混成種目、フィールド種目、1万メートルなど一部について、各地域王者(アジア選手権)については「選手のレベルに基づいて」資格の有無を判断すると定めていた。それにより、右代は大会直前でエントリーできないことになった。しかし、その後、欠場者が出たことで、招待枠で出場が決まっていた。

指導する岡田雅次監督(57)によると、右代は1度はエントリーができないことが決まった時も「もっと強くなればいいということですね」と話し、泣き言、批判は言わなかったという。その2日後から練習を開始していた。

これからは来年の東京五輪を目標に進んでいく。