22年7月の陸上世界選手権(米オレゴン州)男子100メートルで日本人初の決勝進出を遂げたサニブラウン・ハキーム(23=タンブルウィードTC)が、今年に入って単独インタビューに応じ、次世代の日本のスプリンターへ提言した。

世界の頂点を目指すため国内から海外に出ることを求め、エスカレーター式育成の課題も「革命を起こす」「新しい流れをつくる」覚悟で指摘。大会創設の夢など痛快に新年の誓いを立てた。この日からニッカンスポーツ・コムで5回連載します。【取材・構成=木下淳】

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日本の将来を考えると、もう激情を胸の内にとどめておけなかった。2023年、サニブラウンが忖度(そんたく)なく思うこと。

「誰かが言わないといけないんです。陸上競技が“部活動”のままで終わっていいんですか? ほとんどの短距離選手は国内にいますよね。日本の中にいるだけでは頂点は目指せないと経験上、思います。世界はどんどん前に進んでいます。マジで置いていかれますよ、殻にこもっていたら。海外にチャレンジしていくことを考えないと」

昨夏の世界選手権。花形の100メートルで7位入賞し、抱いたのは達成感でなく危機感だった。高校を出て18歳で米国へ渡り「やるなら金メダル」。19歳でプロ転向。日本では異端の挑戦の中で思うところがあった。

「確かに陸上はまだまだプロスポーツではないかもしれない。国内での活動だけでは世界レベルには通じない、海外勢を追う立場の競技は特に厳しい。サッカーのW杯で初のベスト8に迫った日本代表の欧州組のように、どんどん海外に出ていかないと。『プロ意識が低い』と言われても仕方ないのが現状なんですよ」

前段として思っていた。

「4×100メートルリレーで金メダルを目指すプロジェクト。一員として日本の歴史を変えたいと思っていますが、一方で、次世代のスプリンターには個人でもメダルを、金色を目指してもらいたい。リレーで勝つために(100メートルか200メートルの)1種目に絞って温存されるとかではなく、自分は挑戦したいと思いますね」

天井を突き破って、高く広い空を見たくて、海を渡った。まだ国内にいた高校2年の時。15年の世界ユース選手権で100メートルと200メートルの2冠に輝いた。200メートルでは03年ウサイン・ボルト(ジャマイカ)の大会記録を上回る20秒34をマークし、もう海外へ飛び出したくて仕方なかった。

「最初は、ただ単に従来の流れとは違う、海外でトップアスリートと取り組む方法がないか考えました。それで米国へ行こうと思ったんです。中高といろいろな人を見てきた中で『自分は絶対、他の人とは違うチャレンジをしたい』って」

決断は正しかった自負がある。だから言う。「海を渡らないと」。フロリダ州ジャクソンビルの拠点には22年世界選手権2位のブレーシー(ベストは9秒76)と同3位のブロメル(ともに米国代表)が所属している。

「表彰台に乗るため何が必要で、どう準備しているのか。彼らの努力を目の当たりにできるのは大きい。あらためて海外という環境に出て良かったなと。指導者もそうです。米国のコーチは計測から全て自分でやります。逆算し、ウエートトレーニングも、練習に合わせたパワー、スピードに数値変換してプログラムを組み立ててくれる。指導まで全て1人だから全部つながります。引き出しの数の多さ、尋常じゃないですよ」

成果は半年前に出た。日本人初となる世界陸上の決勝進出。主要大会でも32年ロサンゼルス五輪の「暁の超特急」吉岡隆徳以来90年ぶりだ。予選では、向かい風で日本初の9秒台(9秒98)をマークした。ベストの9秒97も含め、複数(自身3度目)の9秒台到達も日本勢で初。これを大舞台で出さないと意味がない。

「チャレンジして失敗して『さあ、どうする』を何度も繰り返す。退屈が一番つらい。日々刺激を求めて生きています。全ては気持ち次第。海外に飛び出さないのは言い訳です。居心地のいい場所にいたい、ただそれだけ。断言できます」

日本陸連ダイヤモンドアスリートの同期で、同じ世界陸上で日本女子初のやり投げ銅メダルを獲得した北口榛花も証明してくれた。

「彼女も英語を話せないところから勉強して、たった1人でコーチを調べてチェコに渡った。あれくらいやらないと無理なんです」

ここまで言うのは未来のため、子供たちのためだ。

「日本でもチャレンジできる環境を与えたい。いい意味で、今までのエスカレーター式を壊す指導者やアスリートがいてもいいと思う。今が全て悪いわけではないですけど、ありきたりでは面白くないし、成長もしない。環境が整っていて当たり前ではない世界で戦うからこそ、将来の自分たち、陸上界のためになる。日本人はポテンシャルあるんだから、温室で育てたら本当にもったいないです」

既成概念をぶっ壊す。「革命を起こす」「新しい流れをつくる」覚悟で、大会の新設など夢を23年から形にしていきたいと考える。

「世界陸上のファイナルに残って思ったのは『追いついた』ではなく『遅れてる』。日本を前進させるため、今年は子供たちのための大会創設にも動きたいんです。理想はサッカーのJユースみたいなクラブチーム制度で、インターハイに匹敵するような大会を。クラブと中高の部活が競い合って、例えば上位8人を米国に短期間でも連れていって海外挑戦の道筋を立ててあげるとか。エスカレーターに乗れず才能が眠ったまま競技から離れる選手も救える。クラブは受け皿になる。大会も、インターハイや国体、ジュニアユースの日程が今は厳しい。1日3レースとか選手のことを全く考えていません。これでは未来が見えないですよ」

強烈な提言の数々。新年の誓いも定番では終わらせない。日本初となる9秒8台を目指しながら、今年8月の世界選手権ブダペスト大会、24年パリ五輪へ。叫んだからには結果を出す。

◆サニブラウン・ハキーム 1999年(平11)3月6日、福岡県生まれ。ガーナ人の父と日本人の母の間に生まれ、小学校3年で陸上を始める。15年世界選手権北京大会の200メートルに世界最年少の16歳で出て準決勝進出。東京・城西高を卒業後、オランダ修行をへて17年秋に米・フロリダ大へ進学。19年5月に9秒99、同6月に9秒97を記録した。20年7月に休学し、現在の所属に。21年東京五輪は腰のヘルニア等で200メートル予選敗退。190センチ、83キロ。血液型O。

次回は、サニブラウンが身を置く米国の練習環境について。(第2回に続く)