山縣亮太(31=セイコー)が復活への道を歩んでいる。

男子200メートルに出場し、午前の予選で20秒94(追い風0・6メートル)、午後の決勝で21秒12(向かい風1・5メートル)をマークした。

予選のタイムは今季のシーズンベスト。「手応えは感じています」とうなずいたが、目標としていたタイムは20秒60だった。「2本走って届かなかったのは、純粋に練習不足」。そう声を落とし「技術どうこうではない。純粋なスピード、持久力のトレーニングが足りていなかったと感じました」と冷静に振り返った。

東京オリンピック(五輪)後の21年10月に右膝を手術。実戦から1年半以上離れ、今年4月29日の織田記念で復帰した。掲げた目標は「五輪で自己ベストを出すこと」。100メートルのパリ五輪参加標準記録(10秒00)を突破し、さらに自身が21年にマークした9秒95の日本記録を更新する道筋を描いていた。

ただ、体が追いつかない。100メートル、200メートルともに、6月の日本選手権の参加資格を満たすことができなかった。7月9日の南部記念では左足の違和感で棄権を余儀なくされた。「まだまだ厳しい状況だなというのは、体の仕上がりを含めて思っています」と正直に打ち明ける。

南部記念後には北海道で2週間ほどの合宿を実施し、有酸素運動を取り入れた。「今年はちょっと太っていた」という体を引き締め直し、体脂肪率を0・6%ほど落とした。

試行錯誤を繰り返し、春先に思い描いた姿へ近づこうとしている。わずかに口角を上げ、現在地を見つめ直した。

「現状とのギャップはあるんですけど、目的意識をもって、日々トレーニングできている。辛いけど、1日1日練習を耐えて、目標をクリアしていけば、自分が目指しているパリの10秒00を切るということに対しては、まだまだ十分に時間的なチャンスはあると思っています」

そんな日々を歩む山縣にとって、8月6日は特別な日でもある。78年前、地元の広島に原子爆弾が投下された。

自問自答するように、平和への思いとスポーツの意義を口にした。

「世界が平和じゃないと、スポーツってできないと思う。スポーツに目的があるかどうか、僕は分からないですけど、あえてやる意味があるとしたら、それは世の中が良くなるためにスポーツってあってほしいなと。それは自分の心に秘めながら、いつも走りたいと思っています」

1つ1つの言葉には重みがあった。

31歳になり、パリ五輪まで1年を切った今。山縣は自らの走りに熱を込めている。【藤塚大輔】