日本アイスホッケー連盟が26日、来年2月の北京オリンピック(五輪)に臨む女子日本代表選手を発表した。

新型コロナの影響で対外試合がなかなか組めず、実戦不足は否めない。それでも、世界ランクは6位。過去2大会を上回るメダル獲得も期待してしまう。

ただ、今回も男子の日本代表は五輪にいない。開催国として出場した98年長野大会を除けば、80年レークプラシッド大会を最後に40年以上も予選敗退が続いている。そのうち「アイスホッケーは女子の競技」と言われるのではないかと心配になる。

かつて、アイスホッケーは日本でも人気競技の1つだった。77年には世界選手権(Bグループ)が東京で行われ、代々木競技場は超満員になった。

本場カナダ仕込みのテクニックを誇る仁と修の若林兄弟、抜群のスピードを持つ「槍」の榛沢務、後に西武ライオンズの代表も務めた星野好男…。放課後の掃除時間、モップをスティックに見立てたアイスホッケーごっこがはやった。

66年にスタートした日本リーグも人気があった。西武鉄道、王子製紙、国土計画の3強の激突には、多くのファンが集まった。記者が新人だった80年代半ばはサッカーの日本リーグより大きな扱い(背景には西武鉄道沿線への販売戦略もあったが)。札幌や苫小牧でもリーグ戦も取材した。

ところが、西武、国土の2チームのオーナーだった西武グループの総帥、堤義明氏の影響力が弱まると、企業スポーツの限界が訪れた。廃部が相次ぎ、チーム数も減少。2004年限りで日本リーグは再編されてアジアリーグとして生まれ変わったが、観客動員もメディアの扱いも、かつての日本リーグには及ばない。

日本アイスホッケー連盟会長を30年務めた堤氏のもとで隆盛を極めた日本の男子アイスホッケーは、堤氏が会長を離れた03年を境に凋落した。よくも悪くも、堤氏と西武グループの力が大きすぎた。再び、日本男子が五輪で戦う日が来るのだろうか。まだまだ道は遠いと思えてならない。

日本ではフィギュアやスピードのスケート、スキージャンプ、スノーボードなどが冬季大会で注目されるが、世界的に見れば冬季大会の「華」は男子アイスホッケーだ。冬季大会が始まる前の1920年アントワープ夏季大会でフィギュアとともに五輪デビューしているし、今も男子決勝は最終日に行われる。

22日には残念なニュースがあった。NHL(北米プロアイスホッケーリーグ)が北京大会不参加を決めたのだ。前回の平昌大会に続く不参加になる。NHLがトップ選手を出すようになった98年長野大会以来、スター選手たちが名勝負を繰り広げてきた。それが見られないのは、大会にとっても大きな痛手になる。

攻守の切り替えが早く、スピードも迫力もあるアイスホッケー。見る競技として魅力はあると思う。ただNHLのトップ選手も日本の男子も出ない。「スマイル・ジャパン」が頑張らないと、カーリングに「冬季大会の華」の座を奪われてしまうかもしれない。

【荻島弘一】(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)