「プロレスで、いじめ撲滅」

矛盾のようにも感じられるこのスローガンを掲げ、全国を飛びまわるプロレス団体がある。2001年(平13)に「破壊王」橋本真也(05年7月没)が立ち上げ、彼が去った後、04年から大谷晋二郎(46)が率いてきたゼロワンだ。


ゼロワン靖国大会で、子どもたちからプレゼントされたベルトを掲げる大谷晋二郎
ゼロワン靖国大会で、子どもたちからプレゼントされたベルトを掲げる大谷晋二郎

プロレスは相手を蹴る、投げる。そして相手に痛みを与えるスポーツ。むしろいじめを想起させるのでは、とさえ思う。だが大谷は言う。

「プロレスでいじめ撲滅なんて、って思う人もいると思うけど、僕はプロレスの力を信じているし、やっている。続けたいんです」

揺るがぬ信念を持ち、全国の子どもたちに約15年間いじめ撲滅を訴え続けている。

いじめ撲滅運動スタートのきっかけは、橋本真也だった。創始者である橋本が04年にいきなり団体の活動休止を発表した。残されたトップ選手の1人、大谷はスタッフとともにゼロワンの継続を決めた。だが橋本のいない団体に、ファンを引きつける力はなかった。何とかゼロワンを特徴ある団体にしなければと頭を悩ませる中、会議中にふとアイデアが浮かんだ。

「プロレスで、いじめなくそうよ!」

「当時もいじめ問題がテレビ、新聞、雑誌とかで取り上げられて、すごかったんですよ。自分が言った言葉で勇気をもってくれたり、立ち上がってくれたりする人がいたらこんなに幸せなことはない、と思いました」


文京区の小学校で講話をする大谷晋二郎
文京区の小学校で講話をする大谷晋二郎

大谷は子どもの頃、プロレスに救われていた。

小学校の低学年、大のプロレスファンだった大谷少年は地元山口に来た新日本プロレスの試合を見るだけでは満足せず、頭に闘魂ハチマキ、首に闘魂タオルを巻き、アントニオ猪木に会いたくて宿舎を訪ねた。ホテルのロビーで警備員に抱えられてつまみ出されたが、そこで猪木が「離してやれ」と呼び戻してくれた。タオルにサインをもらうと、その場で「僕、新日本プロレスに入ります!」と猪木に向かって宣言した。

その数年後の高学年の時、気管支に腫瘍ができ、呼吸困難の発作が起こるようになった。大好きなプロレスごっこが出来なくなった。医師には「手術したら運動はできなくなるけど、普通の生活はできる。まっとうな社会人になろう」と手術を勧められた。だが、プロレスラーになることを夢見る大谷少年はこの勧めを断った。手術を受けずに治療すると決め、実際に運動ができるまでに回復した。そして高校卒業後に上京し、アニマル浜口道場での修行を経て、92年新日本に入団した。

「僕がプロレスに救われたことがいっぱいあるから、もしかしたら今も救える子がいっぱいいるんじゃないか」

プロレスや言葉で子どもたちの心を動かせるかどうかは分からない。でも1人でも何かを感じてくれる子がいるかもしれない。祈りにも似た活動は、大谷のライフワークとなった。

ゼロワンの年間約90の興行のうち、約半分がお金を取らないチャリティーだという。その合間に学校訪問を続け、時には子どもの家にホームステイまでする。活動を始めてから数年たった09年、人気バラエティー番組「アメトーク」のゴールデン特番で大谷らの活動が取り上げられると、一気にチャリティープロレスや講演会の依頼が増えた。


ゼロワン靖国大会で子どもを抱きしめる大谷晋二郎
ゼロワン靖国大会で子どもを抱きしめる大谷晋二郎

大谷はどのように子どもたちにいじめ撲滅を訴えているのか。3月末、東京・文京区の小学校でイベントが行われた。この日はプロレスはやらずに講演のみ。待っていた約50人のこどもたちのうち、プロレスを見たことがある子は9人だけだった。アメトークのDVDを見せた後、大谷はこう切り出した。

「僕たちはプロレスで全国をまわって、いじめ撲滅運動というのをやっているんです。プロレスって、たたいたり、野蛮なスポーツでしょ?でも、よーく考えてみて」

直前に子どもたちに見せた動画にはパンツ一丁でリングに立ち、敵に蹴られ、踏みつけられ、ぼろぼろになっても何度も立ち上がり、相手に向かっていく大谷の姿が映し出されていた。「僕、痛めているところを攻められてやられてたよね。負けてたまるか、って立ち上がってなかった?そうでしょ? そして、相手の技を逃げないで受けてたよね。これを伝えたいんです。技から逃げない。なにからも逃げない勇気。そして、何回やられても、何度でも立ち上がるんだ。そういう気持ちをもってほしい。これが僕が思ういじめ撲滅なんです。本当に強い人はいじめをしない。強い人になってくれますか?」

大谷の熱い問いかけに子どもたちは「はい!」と元気よくこたえた。


顔面ウォッシュで会場を盛り上げる大谷晋二郎
顔面ウォッシュで会場を盛り上げる大谷晋二郎

ただ、逃げない。強い人になる。それが難しいことも大谷は痛感している。いじめは目に見えない、声に出せない、抵抗できないもの。いじめ問題に関われば関わるほどその大変さに気付くという。大谷は学校を訪ねる度に、子どもたちにこう質問する。

「いじめをしたことはありますか」「いじめをされたことはありますか」

どちらも手を挙げる人はほとんどいない。

だが、「いじめを見たことがありますか」と聞くと、半分以上が手を挙げるという。「いじめは、すっごくデリケートだと年々気付いていくんです。すごいことを掲げているな、って。ひと言ひとこ言、無責任なこと、いいかげんなことは言えない」

大谷にとって忘れられない1人の男の子がいる。大谷の地元山口のある中学校に行った時のことだった。全校生徒の前で、いつものように「自分の夢を語ってくれる人、手を挙げてください」と呼びかけた。でも、誰も手を挙げる人がいなかった。

「絶対いるはずだぞ。よし、勇気をもって手をあげるまでおじさん待つからね」ともう1度呼びかけると、前の方に座っていたややふっくらした男の子が1人手を挙げた。

「彼が立ち上がったら、生徒のみんながざわついたんです。そんな状況の中で僕は『みんなも夢をもっているはずだ。でもこの場で言うのは恥ずかしいよね。この子はその中で手を挙げたんだよ。ヒーローだよ。拍手』って言いました。彼は恥ずかしそうにしていたんですけど、消防士さんになりたいとしっかり自分の夢を話してくれました」

その男の子が、講演後に大谷の控室を訪ねてきた。

「ある先生に『どうしても大谷さんに会いたいという子が来ているんです』と言われて待っていたら、その子だったんです。『さっきはありがとね。助かったよ。ありがとう。強い子だね』って肩をたたいたら、泣き始めたんですよ。『なにか抱えていることあるのかな、ありがとうね』と言って抱きしめて、握手をして。そうしたら、元気よく『ありがとうございました』とあいさつをして、出ていきました。彼に勇気をもらいましたよね。その時、どういう状況だったのかは分からないけど、もしかしたら彼は難しい状況にいたのかもしれない。だから彼が立った時、ざわついたんじゃないですか。先生は『あの子は引っ込み思案で自分からものをしゃべる子じゃないんです。でも、たぶんあの子変わりますよ』って言っていました。その出来事だけでも、この活動やっていてよかったと思っています。数多くの人を勇気づけるのも大切だけど、1人の子を勇気づけることも大事。価値は一緒だと思います」

苦しい状況にいる子どもへ、何かが届けばいい。その願いが実った瞬間だった。


ゼロワン靖国大会でマイクを持ち、熱く語る大谷晋二郎
ゼロワン靖国大会でマイクを持ち、熱く語る大谷晋二郎

大谷は時に子どもたちを「子ども先生」と呼ぶ。「子どもから教えられることいっぱいあるんですよ」。子どもに力いっぱい言葉をぶつけ、逆に全身で子どもを受けとめる。だから、どこにいっても大谷は子どもに愛される。そのルーツは父にあった。

大谷家は代々続く教育者一家だ。昭和20年(1945年)生まれの父裕明さんは、74年に山口市内に開いた英語塾「中央セミナー」を45年間変わらず続けている。畳に長机を並べた寺子屋スタイルで電話番号の下4ケタは「4594(しごくよ)」。宿題を忘れたり、遅刻すると、押し入れや天井に入れられ、時には山口駅まで走る罰ゲームを課せられる過激な塾だ。それでも大谷先生を慕い、顔を出す卒業生は後を絶たないという。

「『俺は勉強だけでなく、人生を教えているんだ』と言うんですよね。最近うちのおやじは僕の講演を聴きに来たりしてくれるんですが、『やっぱりお前も大谷家の血引いているよな』と、言われます」

プロレスラー大谷にも、子どもに生き方を教える教育者としての血が通っている。

3月31日、毎年春に行う靖国神社での記念大会。大谷はその数日前に訪問した小学校の生徒からもらった手作りベルトを巻いて登場した。ゼロワンの相棒高岩竜一、ゲスト参戦した先輩藤波辰爾と組む6人タッグ戦。コーナーに敵を追いつめ、何度も相手の顔を足で蹴る必殺技「顔面ウォッシュ」がさく裂すると会場の盛り上がりは最高潮に達した。満開の桜の下、子どもたちが大きな声で「オオタニー、オオタニー」と叫んでいた。勝利し、マイクを持った大谷は感極まった。

「藤波さんには及びませんが、僕もプロレスの世界に入って27年がたちます。でも、なんなんだろう。これだけ長くプロレスやってるのに、試合終わった後、いつもこみ上げてくるんだ。プロレスっていいなぁ。プロレスって最高だなぁ。そんな思いが、何年たっても試合後にこみ上げてくるんです」


ゼロワン靖国大会。左から2人目が藤波辰爾、右端が大谷晋二郎 
ゼロワン靖国大会。左から2人目が藤波辰爾、右端が大谷晋二郎 

ゼロワンの客席はいつも埋まっているわけではない。「苦しくない時代はなかった。順風満帆な時はなかった」と大谷は言う。その中で、いじめ撲滅運動は大谷らゼロワンのプロレスラーの意地であり、光でもある。

この技の一発が、この言葉が、1人の子どもを変えるかもしれない。そんな願いを胸に、大谷はいじめ撲滅運動を続けていく。【高場泉穂】