「あの時、左肩を回しちゃったんですよね」

 13年4月29日、広島エディオンスタジアム。織田記念国際の予選で、17歳の桐生祥秀(京都・洛南高)は日本歴代2位(当時)の10秒01をマークした。

 桐生は3レーン。4レーンは12年ロンドン五輪200メートル代表の飯塚翔太だった。予選の最後は流すのが一般的だが、シニア大会デビュー戦だった桐生は力加減もわからずにかっ飛ばした。スタートから15歩で顔を上げると「ゴールがいつもより近くに見えた」。

 中盤から全員を置き去りにしてゴール。追い風0・9メートルで速報タイムは10秒01で正式タイムも同じた。「夢のようなタイム。(速報タイムを見て)10秒00か9秒台かと思ってずっと見ていた。まだ気持ちの整理がついていない」と桐生。その名前が一躍、脚光を浴びた瞬間だった。


洛南高の桐生祥秀は序盤から抜け出し、10秒01を記録(2013年4月29日撮影)
洛南高の桐生祥秀は序盤から抜け出し、10秒01を記録(2013年4月29日撮影)

 桐生は、過去のレースをほとんど振り返らない。「覚えてないです」とか「あー、そうでしたか」というのが、いつものパターン。ある時など「今年はけがをしすぎて、もうどこをけがしたか、覚えてないです」と笑っていうこともあった。ただこのレースは少し違う。ゴール直前にバランスを崩して、体勢を立て直そうと左肩をぐるぐると回している。100分の1秒を争う100メートルで大きなロスだ。しかも追い風0・8メートルは「絶好」というほどの条件でもなかった。

 予想外の展開だった。日本陸連の科学委員会にこの走りのデータをとることができなかった。10秒01は当時の世界ジュニアタイ記録で国際陸連のHPでもすぐに報じられた。のちにスタジアムに設置された風向風力計が旧式だったために世界ジュニア記録は公認されないという、そんなどたばたが起こったほど。本人ものちに「出した記録」ではなく「出ちゃった記録」と表現している。

 決勝までの約3時間、会場は騒然となった。予選でいきなり0秒18も自己記録を更新した高校3年生が、決勝で日本初の9秒台を達成するのではないかと。


10秒01をマークした洛南高時代の桐生祥秀(2013年4月29日撮影)
10秒01をマークした洛南高時代の桐生祥秀(2013年4月29日撮影)

 同大会の注目は山県亮太だった。12年ロンドン五輪で自己ベストの10秒07をマークし、大会前日には会見もあった。山県の予選は10秒17。「結構速い。今日はあるぞ」という報道陣がざわつく中、次の組で桐生の快走だった。

 決勝は追い風参考2・7メートルで10秒03だった。山県に0秒01差で先着して優勝。山県は「本当に悔しい。今の自分にはイメージできない」とショックを受けた。当時、日本選手権4連覇中の江里口も「1日で10秒0台を2本そろえるのはすごい」と舌を巻いた。飯塚は「速えーよ、お前」とあきれた。ケンブリッジ飛鳥も「マジか」と驚いたという。

 「ジェット桐生」の10秒01は、日本男子短距離の意識レベルを押し上げる火だねになった。98年伊東浩司の10秒00から止まっていた時間が13年4月29日から動きだしたことは間違いない。【益田一弘】


決勝で山県亮太(左)、江里口匡史(右)に競り勝ち優勝する桐生祥秀(中央)(2013年4月29日撮影)
決勝で山県亮太(左)、江里口匡史(右)に競り勝ち優勝する桐生祥秀(中央)(2013年4月29日撮影)

 ◆益田一弘(ますだ・かずひろ)広島市出身、00年入社の41歳。大学時代はボクシング部。陸上担当として初めて見た男子100メートルが13年4月、織田記念国際の10秒01。昨年リオ五輪は男子400メートルリレー銀メダルなどを取材。