現役時代の経験や人脈を頼りに活動するスポーツ系ユーチューバーが、存在感を増している。視聴者を飽きさせない多彩なコンテンツが目立つ中、150キロラガーマンの「ノッコン寺田」が異彩を放っている。路上の伝説、朝倉未来とのストリートファイトに応募するが、あと1歩のところで落選。業界にとらわれず活躍の幅を広げようと奮闘し「ラグビーの魅力を知ってもらうにはファンを作らなアカン」と意気盛んだ。

「花園に来ると楽しいこと以上につらい練習を思い出す」と話すラグビーユーチュバー「ノッコン寺田」こと寺田幸司さん(撮影・平山連)
「花園に来ると楽しいこと以上につらい練習を思い出す」と話すラグビーユーチュバー「ノッコン寺田」こと寺田幸司さん(撮影・平山連)

5日の全国高校ラグビー準決勝の試合前、会場最寄りの東花園駅でノッコン寺田こと寺田幸司さん(37)と待ち合わせた。まん丸とした大きな体だが、威圧感はみじんもない。道すがら「ノッコン寺田だ」と子どもたちに呼び止められ、気さくに写真撮影に応じていた。「ユーチューブを始めて2年近くたちますが、街中で声を掛けられることも珍しくないですね」と少し誇らしそうに笑った。

ラグビースクールの少年たちに握手を求められ、気さくに応じるラグビーユーチュバー「ノッコン寺田」こと寺田幸司さん(右)(撮影・平山連)
ラグビースクールの少年たちに握手を求められ、気さくに応じるラグビーユーチュバー「ノッコン寺田」こと寺田幸司さん(右)(撮影・平山連)

中学3年でラグビーを始め、江の川(現・石見智翠館)時代には花園出場も経験した。150キロという今のガタイからは想像できないが、現役時代のポジションはウイングとセンター。「50メートル6秒0で走っていました」というほどの俊足の持ち主で、帝塚山大卒業後に近鉄(現・花園近鉄ライナーズ)に入団。2013年までプレーした。

引退後も私鉄の駅員として仕事をするかたわら、社会人チームでラグビーを続けていた。そんな時にユーチューブを始めるきっかけとなったのが、コロナ禍で感じた変化だった。

寺田さん 駅員をしていたとき、人身事故が増えた印象を受けた気がしました。関西沿線で連日その知らせを耳にし、コロナ前との大きな違いを感じました。悲しいニュースが多く届く中、どうしたら明るく、誰もが喜んでもらえるようなことができるかと考えたんです。

妻からは「生粋のポジティブ人間」と言われるほど、悩むことがない性格。6人の子どもたちからも後押しを受け、仲間3人と共にユーチューブを2020年からスタート。チャンネル名の「ノッコン寺田」は、「ラグビーを知らない人でもノッコン(ノックオン)なら聞いたことがある。僕のことを知ってもらって、競技に興味を持ってくれたら良いな」と名付けた。

当初はなかなか再生数が伸びなかった。近鉄時代の先輩で元日本代表の大西将太郎さんや正面健司さん、19年W杯日本代表の中島イシレリをゲストに迎えた企画をしたが、「ラグビーをもともと好きな人に刺さるけど、新しいファンをなかなか巻き込めなかった」。

転機となったのが、昨年11月に行われたABEMAの企画「朝倉未来にストリートファイトで勝ったら1000万円」。落選したが、その反響の大きさに驚いた。

寺田さん ヒール役で登場したら応募者の一覧を紹介する動画に出られました。名前を知られ、認知度が格段と上がりました。

その後、同じ落選者と行ったスパーリング動画では、再生回数が100万超えを記録。登録者数も3万5000人に達した。人気度は徐々に高まりつつある中で、こだわりのあるラグビーの企画を定期的に出している。その1つが高校時代の恩師、梅本勝監督が率いる創部3年目の倉敷高(岡山)の密着動画だ。

連日午前5時すぎから練習に取り組む部員たちが、初めてとなる花園出場権を勝ち取った様子を動画に収めた。今大会は1回戦で大分舞鶴に0-22と敗れたが、「高校3年間頑張ってきた学生たちを動画として残せたのは、大きな意義がある」と寺田さん。母校の石見智翠館など今後ラグビー関係者をたどりながら、高校生ラガーマンの密着した動画を作っていきたいと意気込む。

来年にはフランスでW杯が控える中で「大会期間中に現地に行って、ノッコン寺田としてラグビーの盛り上がりを伝えたいですね」と意欲は止まらない。原動力を尋ねると「僕はラグビーが好きでたまらないんです。楽しいこともつらいことも全てラグビーから教わったから」。自然と漏れた本音が印象に残った。【平山連】

投稿動画の中では定番の「ラグビー最高!」ポーズを披露する、ラグビーユーチュバー「ノッコン寺田」こと寺田幸司さん(撮影・平山連)
投稿動画の中では定番の「ラグビー最高!」ポーズを披露する、ラグビーユーチュバー「ノッコン寺田」こと寺田幸司さん(撮影・平山連)

◆寺田幸司(てらだ・こうじ)1984年12月20日生まれ、大阪府出身。網膜剥離の影響で激しいスポーツは控えていたが、中学時代に2年先輩だった大隈隆明さん(清水建設江東ブルーシャークス監督)の姿に憧れ「ラグビーをしたい思いが抑えられなくなった」と中学3年で本格的に競技を始める。江の川(現・石見智翠館)-帝塚山大-近鉄(現・花園近鉄ライナーズ)でプレーし、2013年に引退。現在は警備員の仕事を続けながら、「150キロラガーマン『ノッコン寺田』」としてユーチューバーとして活動している。