平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)スノーボード男子ハーフパイプの銀メダリスト平野歩夢(19=木下グループ)が21日、地元新潟・村上市で凱旋(がいせん)パレードした。約1・3キロの沿道には1万5000人の市民らが歓声をあげた。その後は、村上市市民ふれあいセンターで1700人を前に報告会を開いた。4年後の北京五輪へ、20年東京五輪のスケートボード日本代表へ、地元の期待は高まった。

 「祝 銀メダル 平野歩夢選手」と記した垂れ幕が下がる村上市役所を背にして平野は赤いオープンカーに乗った。沿道の歓声に手を振り、首にぶら下げた銀メダルを外して、左手でかかげた。村上市街を約1時間費やした凱旋パレード。「(手を振って)手がなくなるかと思った。いい筋トレになった」とまじめな顔で冗談を言った。

 村上市役所前から村上地域振興局までの1・3キロの沿道は1万5000人の市民で鈴なりになった。14年ソチ五輪で銀メダルを獲得したときの凱旋パレードは1万3000人だっただけに、地元のヒーローへの市民の祝福と期待はさらに大きくなった。主催者側が用意した小旗1万本も、あっという間になくなった。「大勢の人たちの力を感じた。パワーをもらった。(大勢の人に)夢を与えられるような1人の選手でいたい」。平野は地元の期待を全身で吸収した。

 ソチ五輪で銀メダルを獲得したときは冬季五輪の日本人最年少メダリストとして騒がれた。ところが、その中心にいた平野は「実感もなかった」と言う。しかし、今回の銀メダルは悔しさでいっぱいだった。「『おめでとう』と言われても、自分には“おめでとう”はない。悔しさを今後につなげる」と言った。

 4年後の北京では金メダルの期待がかかる。平野は「気持ちの整理がついていない」と言葉を濁したが、漠然とだが、気持ちは固まっている。「人がやってないことにチャレンジしたい。大きなことをやりたい。負けることを怖がらないほどの自信をつけたい」。20年東京五輪のスケートボードの日本代表も、もちろん視野に入っていた。「やってみる可能性はある。約束はできないけれど…」。故郷でパワーをためた平野は、次のステップに大きく踏み出す。【涌井幹雄】