バレーボール元女子日本代表で12年ロンドン五輪銅メダルの竹下佳江さん(42)が、4年間の指導者生活に一区切りをつけた。19-20年シーズンをもって、Vリーグ女子1部(V1)姫路の監督を退任。今季から球団副社長を務める。監督在任中には第2子を出産し、産休、育休も取得。電話取材で日本初となる女子プロチームの土台作りを振り返り、今後への思いを語った。【取材・構成=松本航】(本文は敬称略)

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身長159センチの名セッターだった竹下は、16年に姫路の初代監督に就いた。わずか3年でV2優勝。V1初陣の昨季は最下位と苦しんだが、今年2月の入れ替え戦2連勝で残留を決めた。大一番は特別だった。

竹下 初めて「自分がコートに立ちたい」と思いました。若いチームに対して「自分の経験値で何かできないか」と思って…。でも、ふたを開けてみると選手が本当に頼もしかった。負けは込んでいたけれど、V1の経験が彼女たちの力になっていた。それを、最後の最後に感じられました。

-プロチームの重圧

竹下 シビアな話ですが次をV1、V2どちらで迎えるかは大きく違います。スポンサー、後援会、ファン…。そういう人たちの顔が浮かんできました。結果を残さないといけない。選手にも企業チームとは違う重圧があったと思います。

-第1子出産の翌年から監督。真鍋政義オーナーらが「女性のためのチーム」と推進し、第2子誕生の18年には産休、育休を取得

竹下 就任前からオーナーも(橋本)社長も、びっくりするぐらいの熱意があって「プロチームでバレー界が変わる」とスケールの大きい話をしていた。(15年に)1人目を産んで間もない頃に監督になって、バックアップが本当に大きかったです。私はバレー界に恩返しという意味で、土台作りを一番に考えました。

-監督業を振り返って

竹下 選手が誰もいないところから始まって、未知数な分、成長が面白かったです。逆に社会に出て間もない子には甘さもある。全体の把握と決断。難しいことの方が多かったです。でも、人と違う経験をさせてもらい、振り返ると「あぁ幸せだった」と思います。

-コーチだった中谷宏大新監督がチームを率いる

竹下 目標だった土台は、何とかできたかなと思います。プロチームは「応援したい」と思われるチームでないといけない。選手は子どもたちに「こうなりたいな」と思われる人であってほしい。あとはやっぱり、強いチームがいいですよね(笑い)。ただ、そんなにすぐに強くなれないので、後悔なく、1日1日を頑張ってほしいです。私は地域の子どもたちとバレーをしたり、指導者の考え方を学ぶ時間も増えると思います。将来的に現場への復帰が100%ないかといえば、そうでもない。バレーを客観的に見て、勉強したいです。

◆竹下佳江(たけした・よしえ)1978年(昭53)3月18日、北九州市生まれ。不知火女高(現誠修高)からNECへ進み、02年からJT。97年に日本代表へ選出され、04年アテネから五輪3大会連続出場。12年に元プロ野球・広島の江草仁貴投手と結婚。13年に現役引退。15年に長男、18年に次男を出産。16年に姫路の監督就任。159センチ。