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今日の誕生日

井上怜奈(1976年)→Pick Up!


Pick Up! 井上怜奈

今日は日本、米国の両国、さらに2つの種目で五輪に出場し、壮絶な人生を送るスケーターの44歳の誕生日です。

兵庫県西宮市生まれ。5歳の時に小児ぜんそく克服のため、医者にスケートか水泳を勧められてスケートを選びました。

シングル選手として育ちましたが、「表現が好き。ペアはすごく創造的なことに挑戦できる」とペアにはまったことが転機となりました。小山朋昭と組み、若くして日本のトップ選手になります。

話題を呼んだのは92年。新松戸南中3年の15歳5カ月でアルベールビル五輪日本選手団最年少代表になりました。ペアの五輪出場は72年の札幌大会以来、実に20年ぶりでした。本番ではコンビネーションジャンプ、トリプルジャンプも完璧に決め、14位と健闘しました。


井上怜奈、ジョン・ボルドウィン組(2009年)
井上怜奈、ジョン・ボルドウィン組(2009年)

その後膝の故障でペアを解消しましたが、競技への意欲は失われません。94年リレハンメル五輪へはシングル選手で出場することを目指します。同年1月の選考会、全日本選手権ではフリーで5種類7回の3回転ジャンプを決めて2位に。見事に2度目の五輪代表の座を射とめます。本番では18位となりました。

98年長野五輪の代表の座を逃すと、再びペア選手としての道を歩みます。その直後に思わぬ通告がなされます。98年に、前年に亡くした父と同じ肺がんと診断されたのです。小児ぜんそくを治すために始めたスケートでしたが、再び同じ肺の病に。幸い、腫瘍(しゅよう)は小さく治癒。それでも抗がん剤の副作用に苦しみました。1年後に復帰しましたが、日本で医学の道を志そうと決めていました。

決断後の1本の電話で再び人生が変わります。偶然パートナーを探していたジョン・ボルドウィンの父から連絡が入ったのです。迷った末に受けたテストでしたが、「彼は私を信じてくれるし、お互いに尊敬できる」と、誕生日が1日違いの2人の相性は抜群でした。01年全米選手権11位から、順位は徐々に上がっていきました。

04年全米選手権優勝。05年には米国の市民権を獲得し、五輪への道が開けます。06年トリノ五輪。SPではペアでは五輪史上初のスロートリプルアクセルを成功させます。フリーでは失敗し7位にとどまりましたが、記憶に残る演技を披露しました。

07年世界選手権後には引退を発表しましたが、その後に撤回。08年世界選手権ではフリー演技直後にボルドウィンからプロポーズを受け、話題にもなりました。10年バンクーバー五輪は、わずかに選考会で代表の座に届かず、その後に現役を引退しました。

現在は2児の母として米国で暮らしています。


今日の1枚

日刊スポーツが蓄積してきた写真の中から厳選して紹介します。

2017年7月2日
2017年7月2日

17年7月、関大たかつきアイスアリーナでのアイスショーで熱演する紀平梨花。


今日の出来事

織田信成が、フランス杯で国際大会のフリーで自己最高となる163・33点をマークし、逆転優勝を飾った(2009年)

06年10月のスケートアメリカ以来3年ぶりの海外主要大会優勝、GPシリーズ4勝目だった。