日本人7年ぶりのF1ドライバー角田裕毅(20=アルファタウリ・ホンダ)が、デビュー戦で9位に入る健闘を見せた。

スタート時に13位から16位と順位を落としたが、そこから怒濤(どとう)の追い上げ。世界王者経験者を次々と抜き去り、9位でフィニッシュ。デビュー戦で初めてポイント(2点)を獲得した日本人となった。総合5連覇を目指すメルセデスのルイス・ハミルトンが優勝し通算96勝目を挙げた。

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入賞圏内の10位でも角田は満足しなかった。獲物をねらうハンターのように、前を走るストロールを追い詰める。最終周のターン1でついに抜き去り9位に浮上。デビュー戦で日本人初となるポイント2点を獲得して世界が注目する戦いを終えた。

「あそこで抜けなかったら今夜は眠れないぞと思って(笑い)。今日の自分のパフォーマンスはすごく誇らしく思いますし、ボクたちのマシンのパフォーマンスがどれだけすごいかを証明することができた」と角田は手応えを口にした。

夢にまで見たF1デビュー戦のスタート。慎重に入りすぎて、13位から16位に順位を落とした。そこから、怒濤(どとう)の追い上げ劇が始まった。24周目に、ベッテルをホームストレートで、26周目にはアロンソをコーナーで抜いた。いずれも世界王者経験者。特にアロンソはあこがれの存在で「抜くことができたのはすごくグッとくる体験。すごく興奮しました」と喜んだ。

予選ではQ1でいきなり2位に入り、世界をおどろかせたがQ2で敗退。決勝ではスタートをミスしながら、持ち味の攻撃的な走りを見せ、開幕戦からポイントをもぎ取った。「ポイント獲得で50%は満足していますけど、残りの50%は大きなミスもあった。次のレースに向けて、まだまだ改善しなければいけないことが見つかった」と早くも第2戦エミリア・ロマーニャGP(イモラ、4月18日)に目を向けた。

弱冠20歳、00年生まれで初のF1ドライバーとなった角田の歴史を変える戦いが幕を開けた。【桝田朗】

◆角田裕毅(つのだ・ゆうき)2000年(平12)5月11日、相模原市生まれ。4歳でカートに乗り始め、16年にF4日本選手権に参戦。18年にF4日本選手権で総合優勝。19年にF1の登竜門、レッドブル・ジュニアチームに加入。同年F3選手権で総合4位。20年からはF2選手権に参戦し、3勝を挙げ年間3位。F2新人賞と、FIA(国際自動車連盟)新人賞をダブル受賞。12月16日にF1のアルファタウリと契約。160センチ、53キロ。

◆日本人F1ドライバーのデビュー戦 87年に日本人初のフル参戦ドライバーとなった中嶋悟(ロータス・ホンダ)以降、角田まで14人がF1にデビュー。最高位は7位で、87年ブラジルGPで中嶋、97年オーストラリアGPで中野信治が記録。当時のポイントは6位までで、両者とも獲得はならなかった。それに次ぐ順位は09年ブラジルGPの小林可夢偉で9位。同レースの予選11位が日本人の予選最高位。中嶋氏の長男一貴が07年ブラジルGPで10位に入っている。

◆F1の予選、決勝 

予選 1次(Q1)から3次(Q3)までの3回のノックダウン方式で行われ、Q1で5人、Q2で5人が脱落。最後に残った10人でポールポジションを決めるタイムアタックを行う。

決勝 前からタイム順に2列ずつ並んでスタート。決勝レース中に1回以上のタイヤ交換と、2種類以上の硬さのタイヤ使用が義務付けられている。4本の車輪すべてがコースから外れた状態で追い抜く行為はペナルティーの対象。

ポイント 年間王者を決めるポイントは10位までに与えられ、1位25点、2位18点、10位1点など。10位以内が入賞。