石川佳純(30=全農)が引退した。

2000年代後半からともに日本卓球界をリードしてきた盟友の東京五輪金メダリスト水谷隼氏(33)が1日、日刊スポーツの取材に応じ、石川の功績をたたえた。12年ロンドン五輪女子団体で日本初のメダル(銀)を獲得した石川を「越えなければいけない存在だった」と男女は違えど目標としていたことを明かした。

   ◇   ◇   ◇   

「水谷くんの2倍は練習してる」。日本卓球界のキングを前にそう話すのが石川の口癖だった。「彼女は1年中、卓球のことを考えていた」と水谷氏は振り返る。仲間内で行く食事会でも翌日に練習があればアルコールは控え早めに帰宅した。

卓球の虫だった。東京五輪選考レースまっただ中だった19年。石川は水谷氏と実戦形式の練習を頻繁に行った。普通に戦えば力が強い男子が勝利するため、11点マッチで3、4点のハンディを求めてきた。それでも7、8割方は水谷氏が勝利したが、石川が勝つと「跳びはねて喜んでいた。本当に負けず嫌いだった」と懐かしんだ。

21年東京五輪ではそれぞれ男女チームの最年長者だった。男子は張本智和、女子は伊藤美誠、平野美宇と20歳前後の若手を引っ張る立場。「お互いにコミュニケーションの取り方について相談した」と激闘の裏側を明かした。

自国開催の東京五輪を終え引退した水谷氏。一方で、24年パリ五輪を目指すと明言しないまま現役を続けた石川。モチベーションの保ち方について相談を受けたことも、「僕は31歳で東京大会に出た。彼女もパリで31歳。『全然できるよ』と話していた」。それが突然の引退。「まだパリ五輪選考レースで5位。全然可能性があるのに驚いた。やりきった気持ちが強いのだと思う」と察した。

伊藤、平野、早田ひなら8歳も下の後輩が台頭する近年。「努力しても結果がついてこなくなるのがスポーツの残酷さ。僕とか石川の世代は中国に何十敗もしてトラウマがあるけど伊藤らにはない。自分もそうだったが徐々に『自分の時代じゃないのかな』という気持ちになったのかな」。

石川の功績について「(福原)愛ちゃんとともに日本卓球界全体を引き上げてくれた」と語る。そして水谷氏にとっても目標だった。「ロンドンで銀メダルを獲得してからは『かすみん』ではなく『オリンピックメダリスト』という目で見るようになった。越えなければいけない壁になった」。そして水谷氏は16年リオデジャネイロ五輪で日本卓球界初のシングルスメダル(銅)を獲得した。

最後にこう添えた。「20年近く休まず走り続けてきたと思う。好きなだけ寝て、食べて、自分のやりたいことをかなえてほしい。そして思い立ったらまた卓球界のために動いてほしい。待ってます」。盟友の引き際に拍手を送った。【三須一紀】