<1996年7月28日付日刊スポーツ紙面から>

 「私も人間ですから」。柔道女子48キロ級の田村亮子(20=帝京大)は、決勝で無名のケー・スンヒ(16=朝鮮民主主義人民共和国)にまさかの敗戦を喫した。2大会連続銀メダルで連勝も84でストップ。悔しさ、五輪の怖さ、再挑戦の決意を吐露すると、YAWARAちゃんの目から涙があふれ出した。男子60キロ級では世界舞台初出場の野村忠宏(21=天理大4年)が、大殊勲の金メダルを獲得した。

 信じられない光景を見た。伏兵のケーに屈した田村が天井を見つめている。「終わっちゃった」。髪のゴムをほどきながら控室に向かう途中、関係者に頭を下げた笑顔はどこかぎこちない。ショックだったのだろう。控室から出てきた野瀬監督が「田村は座り込み、ぼう然としていました」と、様子を伝えた。

 16歳に夢を打ち砕かれた。何のために4年間やってきたのか。表彰式では涙も出ない。丸4年ぶりの敗戦を受け入れられない。並べた言葉に、悔しさがのぞく。

 「何とかすれば絶対に勝てたような気がして……。ドーピングルームで野村先輩とメダルを見せっこして、あっ、負けたなって」

 「自分のどこかに心のスキがあったというのか、何というのかなあ。力を発揮する前に終わりました」

 「このアトランタを大きな目標としてやってきたのに、また同じ銀メダル。まだまだ何か足りないなと、あらためて思い知らされました」

 「金メダルを持ち帰りますと言ってきましたが、本当にやるのはすごく難しいことです」

 サボン(キューバ)との準決勝に一本勝ちし、金メダルをほぼ手中にしたかのように見えた。が、逆ブロックから決勝に上がったのは、予想したソレル(スペイン)でもニシロ(フランス)でもない。初対戦のケーだった。田村の脳裏に作戦の立てようがない。ここに落とし穴があった。

 重圧はないと、いつも言い続けてきた。しかし、金メダルを前にして予想外の強敵に出くわした恐怖心は、後ろに下がった戦局でも明らかだ。強引に奥襟をつかまれ、内またや大外刈りを完封された。

 「私も人間ですから。人間でよかったと思う部分もあります。人間だな、と思いました」

 「ケー選手には勢いがあり、気持ちで押されました。でも、そういう選手と当たっても勝てなければ本当のチャンピオンではありません」

 「オリンピックは違います。勢いと運が必要。実力とか運がマッチした人がチャンピオン。う~ん、まだまだですね」

 口調には張りがある。バルセロナで負けた時、すぐにでも練習したいと言った。今度も同じだ。

 「これからの4年間は長い4年間になりそう。今度の4年はどう頑張ろうかな、という感じです」

 「一から、いやゼロからスタートしたいです。4年後は金メダル。三度目の正直です」

 「この4年間で、すごい成長をしたと思います。でも、銀メダルじゃだめですね。金メダルのためにやってきたのですから」

 「応援する人たちがテレビの前でたくさんのパワーを送ってくれました。一番思うのは、期待された皆さんに悪いな、と……。正直、何と言ったらいいのでしょう」

 気丈に話し続けた言葉が、ここで終わる。だれかが「謝る必要なんかないんだよ」と言うと、田村の両目から二筋の涙がスーッとこぼれ落ちた。人前で4年ぶりに泣いた。できれば見せたくない顔だった。

 【織田健途】

 ▼田村VTR

 1回戦ではモスクビナ(ベラルーシ)に体落とし、2回戦ではマルドナード(ホンジュラス)に背負い投げで一本勝ちし、順調な滑り出しを見せる。3回戦では一本こそ奪えなかったが、トルトラ(イタリア)を一方的に攻め、背負い投げで技ありを奪うなどして優勢勝ち。さらに、準決勝ではサボン(キューバ)を背負い投げ一本で仕留めて決勝へ進出した。しかし、ケーとの決勝では、背負い投げ、内またなどを仕掛けるが、がっちりと受け止められる。両者ポイントないものの押され気味の田村は残り22秒、強引な大外刈りにいったところを返されて効果を奪われ、終了間際にも指導を受けて敗れた。

 ★山口香・全柔連女子強化コーチの話

 決勝は相手が何をしてくるか分からないのと、勝ちたいというプレッシャーがあって弱気になっていた。そのうちに時間がたってしまい慌てて攻めたところをやられてしまった。準決勝までは一本勝ちしていたけど決して出来はよくなかった。田村さんでも金メダルのプレッシャーがかなりあったんでしょうね。