<高校ラグビー:東福岡57-5御所実>◇決勝◇7日◇花園

 東福岡の藤田雄一郎監督(42)が日本一に泣いた。11年度までの花園3連覇後、恩師の谷崎重幸氏(55=法大監督)からバトンを受けた。「目線が監督になっちゃダメ」と心に決め、選手にラグビーを楽しませてきた。就任3年目で監督として初の頂点。選手らの笑顔を見て涙があふれた。

 グラウンド横でテレビ中継の優勝インタビューを終えると、藤田監督は人目を避けてメーンスタンド下に向かった。壁にもたれ、教え子を見た。「彼らの1年のころからのことを思い出して…。いい時間でした」。表彰式で胸を張る教え子の姿に、何度も両目をぬぐった。

 花園3連覇の直後、12年春に総監督となった谷崎氏の後を継いだ。就任1年目は花園で準々決勝敗退。連続4強以上が6大会で途切れた。「一番きつかった。何をしたらいいかわからなかった」。13年春には谷崎氏が法大監督になり、学校を離れた。谷崎氏からの最大の助言は「生徒にラグビーを楽しませろ」。練習法など強化のノウハウは部に根付いている。自分はFW出身だが、同級生のBKコーチ稗田新氏らもいる。「スタッフがすごいから、できないことは任せたらいい」と腹をくくった。

 家ではラグビー番組が見たいため、小6の娘、幼稚園の息子とチャンネル争奪戦を展開するが“ラグビーばか”ではない。「ラグビーより大事なことはいっぱいある」が持論だ。自分も毎年7月1~15日は「博多祇園山笠」に熱中する。博多っ子として山笠を担ぐ。「あの期間だけは『生徒たちにごめんなさい』です」と譲らない。

 春の選抜、夏の7人制大会、花園の年間3冠を達成した。「やっと監督のスタートラインに立てたような…」と苦笑いする。試行錯誤を経ての快挙だが、揺るがないことが1つある。「目線が監督になったらダメ。谷崎先生は本当に生徒のことばかり考えていた。僕は動いて、声を掛けて。それがブレたらだめでしょう」。選手より先にグラウンドに来て、一緒に帰る。就任3年目。日本一になっても、選手と同じ空気を吸っていく。【加藤裕一】

 ◆藤田雄一郎(ふじた・ゆういちろう)1972年(昭47)10月17日、福岡県生まれ。東福岡でラグビーを始め、NO8で70回(90年度)大会に出場(2回戦)。福岡大卒後、同高に保健体育科教諭で赴任、コーチで花園を12度経験、12年4月に監督就任。趣味は読書。家族は妻、長女、長男。