レジェンドが涙でマウンドに別れを告げた。今季限りで現役を引退する中日山本昌投手が、今季最終戦の広島25回戦でラスト登板。50歳1カ月で先発登板し、プロ野球史上初めて50歳登板を果たすと涙が止まらなかった。打者1人、広島丸に3球を投じ、二ゴロに抑えた。来季は評論家になる予定。

 景色が涙でぼやけた。交代を告げるために歩み寄った谷繁兼任監督からガッチリと握手されると、目から涙があふれ出た。広島ベンチからは新井が花束を持って走ってきた。敵地にもかかわらず「球界のレジェンド」をねぎらう万雷の拍手が降り注ぐ。ベンチ前で待つ美智子夫人の顔を見ると、もう我慢できない。50歳サウスポーの顔がくちゃくちゃになった。

 「泣かないと思ったんだけど。球場の声援がね…。我慢できなかった」

 真剣勝負を挑んだ。打者1人限定の先発マウンド。8月に痛めた左手人さし指は靱帯(じんたい)まで痛めており、まだ全力でボールに力を乗せられない。考えたのが人さし指に負担のない代名詞スクリュー。丸に対して初球から2球連続でボールとなったが、3球目高めの117キロで二ゴロに打ち取った。

 驚くような剛速球があるわけではない。類いまれな投球術が「最年長記録ホルダー」を誕生させた。06年9月、リーグ優勝を争っていた阪神相手に、史上最年長の41歳で無安打無得点試合を達成。08年8月には最年長の42歳で通算200勝。そして、昨年9月には49歳で最年長勝利をマークした。この日、自身が持つ出場、登板、先発の最年長記録を更新。手負いの状態ながら、経験と工夫で最善策を導きだし、1アウトをもぎ取った。

 ベンチ裏には1軍登録されていない吉見や浅尾らも駆けつけていた。試合後のブルペンでは背番号34にちなんで、3+4で7回、非公開の胴上げで宙を舞った。「みんなに重い、重いって言われて上げてもらいました」。試合中にはビジターにもかかわらず山本昌の足跡がスコアボードに映し出された。誰からも愛された男らしい光景だった。

 通算219勝左腕が現役最後の登板で「50歳登板」という称号も手にした。「本当に僕が世界で一番幸せな野球選手だよ」。最後は笑ってそう話した。誰よりも長くファンに愛され、記録と記憶に残る背番号34が、惜しまれながらもマウンドを去った。【桝井聡】

 ◆山本昌(やまもとまさ=本名・山本昌広)1965年(昭40)8月11日、神奈川県生まれ。日大藤沢から83年ドラフト5位で中日入団。06年9月16日阪神戦では史上最年長の41歳1カ月でノーヒットノーラン。08年8月4日巨人戦で通算200勝を達成。14年9月5日阪神戦では49歳0カ月でのプロ野球最年長勝利を挙げた。通算219勝は球団最多。186センチ、87キロ。左投げ左打ち。

 ◆大リーグでは 山本昌を超える年長投手は1人だけ。サチェル・ペイジは1965年9月25日に59歳2カ月で登板した。アスレチックスと1日契約を結び、レッドソックス戦で3回を1安打無失点に抑えた。