人生は決断の連続だ。悩み、苦しみ、そして未来に希望を見いだし、新たな扉を開ける。野球人たちも、今年はさまざまな局面に対し、断を下した。巨人阿部慎之助(35)は愛する捕手に別れを告げ、来季から一塁手へのコンバートを決めた。決断までの心の深層に迫る。

 秋季練習開始の1日前、阿部の携帯の着信音が鳴った。原監督からのメールだった。「来年のことについて明日、ゆっくり2人だけの世界で話をしたい」。阿部も今季半ばから思いが浮かび、シーズン後も熟考していたテーマだった。ポジション転向―。重い決断を迫られていた。

 今季はCSで敗れ、2年連続で日本一を逃した。開幕前に首痛を発症。頸椎(けいつい)椎間板ヘルニアだった。打撃不振に陥り、守備にも痛みが波及し、精彩を欠いた。8月には一塁手との併用となった。負担が軽くなり、4番に固定されると復調した。だが、たまに捕手に戻ると痛感することがあった。「久々にやって新鮮な気持ちになるとかはない。『こんなにきついポジションをやっていたのか』と思うくらい」。安住の地には感じられなくなっていた。

 秋季練習までのオフの8日間。自問自答を繰り返した。いつかこの時が来ることを考えたこともある。だが、こんなに早く決断の時を迫られるのは想像以上だった。捕手で出続けるためには、休養を挟まなければならない。「城島さん(健司)が捕手で全試合フルイニング出場した。すごいことだし、理想だよね」。理想から、遠ざかっている現実に葛藤を覚えていた。

 阿部慎之助として築き上げてきた“選手像”にも向き合った。巨人の80年の歴史の中で強打の捕手として10年以上も第一線を張った選手はいない。「打率2割中盤、ホームラン10本なら数年は続けられるかもしれない。だが自分にはその数字は求められていない。チームの勝利のために今までと同じぐらい打ち続けないといけない」。原監督も「慎之助のチーム」と認める存在。平均的な捕手であることは許されないことは自覚していた。

 尊敬する父にも相談した。「捕手として、もう十分にやったんじゃないか?

 誰も文句は言わないよ」と言葉が返ってきた。高2から捕手を始めたが、以前の三塁手は将来を見据えて父東司さん(59)が勧めた位置。一塁送球が、捕手から二塁への送球と同距離で、フットワークの向上にも役立つからだ。「オヤジがオレの捕手としての力を一番知っている」。キャッチャー阿部を客観的に評価してくれた父の言葉に、決断へソッと背中を押された。

 支えてくれた家族に最初に決心を伝えた。結婚式では金色のミットの置物を引き出物に選んだ。二人三脚で歩んできた捕手人生。だから1番に伝えたかった。

 「かぶり物を脱ぐわ」

 秋季練習初日。阿部は原監督と話し合った。「監督はオヤジの次にオレの捕手の姿を見てくれた人。お互いの意見が一致して決めた」。互いの野球観を突き合わせ、思いを新たにし、来季からの一塁手転向を決めた。「実は…」と打ち明ける。「監督からの『来年について話し合おう』というメールの後にすぐ『ファーストにお前の未来がある』と送られてきた。監督の中ではもう決まっていて、言っちゃっているみたいな。監督らしいよね」。太陽のような男が豪快に笑った。

 捕手ミットではなく、一塁ミットを携え、グラウンドに向かった。「もう未練はない。寂しさはあるけどね。でも新たな野球人生の再挑戦だと思って頑張る」。シーズン中のような苦悩の表情はない。実に晴れ晴れと、決断を下した男の顔つきだった。

 希少価値の高いポジションを務める男たちが、阿部と同様に決断の時を迫られていた。【広重竜太郎】(つづきは日刊スポーツ紙面で連載中)