大相撲夏巡業の稽古後、親方衆にアドバイスを受けた貴ノ富士(右端)(2019年8月8日撮影)
大相撲夏巡業の稽古後、親方衆にアドバイスを受けた貴ノ富士(右端)(2019年8月8日撮影)

「今は、きつい時間が幸せです」。十両貴ノ富士(千賀ノ浦)が、つぶやいた言葉には、22歳にして重みと深みがあった。現在、夏巡業中。バスでの移動時間も長く、暑さは日を重ねるごとに体力を奪っていく。加えて7月の名古屋場所中に左足甲を痛めているが、連日、巡業の稽古土俵に上がっている。そんな、きつい時間への充実感を、素直に口に出せるようになったことが、何よりもうれしそうだった。

今年1月の初場所で改名するまでは、貴公俊のしこ名で土俵に立った。その名を最も有名にしたのは、貴乃花部屋時代の昨年3月、新十両として迎えた春場所8日目に支度部屋で起こした付け人への暴行騒動だった。翌9日目から謹慎となり、同場所は途中休場。続く夏場所も謹慎で休場した。本場所にも、関取として初めての巡業にも、出たくても出られない-。ちょうどそのころ、双子の弟の貴源治、同部屋の貴景勝は、番付を上げ、活躍していた。自分の未熟さを悔いても、時間は戻らないもどかしさと葛藤する日々だった。

そんな時に先代師匠の貴乃花親方(当時)から「どん底まで落ちて、はい上がるのが英雄だ」と、声を掛けられたという。貴ノ富士は「あの時は『英雄って何だよ』『どん底って何だよ』って、素直に声を聞くことができなかった。でも今は、少しは理解できる気がする」と振り返る。遠回りをしたからこそ、共感してくれる人や、応援してくれる人が増え、その支えに恩返ししたいという力がわいてくる。土俵に集中できる、当たり前と思っていたことにも感謝できるようになったという。

名古屋場所では初めて十両で勝ち越した。しかも優勝争いにも名を連ねる11勝4敗の好成績。なかなか暴行と切り離されない報道に、一時は嫌気も差したというが、今は乗り越えた。謹慎明けの昨年名古屋場所は西幕下49枚目。関取返り咲きは容易ではない位置まで番付を落とした。それでも、幕下で4場所連続で勝ち越し、今年春場所で再十両。負け越して再び幕下に陥落したが、夏場所では7戦全勝で初の幕下優勝を果たした。

「年6場所あると、けがも増える。けがが増えれば、番付が落ちる可能性もある。きっと、横綱まで上り詰めた人にとっては、地位を守らないといけないから、けがのリスクもあるし、年6場所も必要ないと感じるのだと思う。でも、上がっていく人にとっては、チャンスが年6回もある。今の僕もそう思えるようになった。休んでいる暇はない」。来場所は自己最高位が確実。はね返される度に、挫折を味わう度に、一回り強くなって帰ってくる。波瀾(はらん)万丈の力士人生も「もしも将来『貴ノ富士物語』ができたとしたら、この年齢で、これだけいろいろあるから、面白い内容になるかもしれませんね」と笑う。最後に「英雄」となる物語だとすれば、まだまだ序章にすぎないのかもしれない。【高田文太】

十両貴ノ富士
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