元関脇の若の里(39=田子ノ浦)が3日、引退を表明した。両国国技館内での会見では、同期生で師匠の田子ノ浦親方(元前頭隆の鶴)の涙につられて、目頭を熱くする場面も。ケガと闘った23年半の力士人生を振り返った。将来的に独立して部屋を設立することも視野に入れつつ、部屋付き親方の年寄「西岩」として後進の育成に力を注ぐ。

 「笑顔でやりましょう」。そう会見に臨んだ若の里の目が、次第に潤んでいった。同席した師匠で同期生の田子ノ浦親方が、先に言葉をつまらせた。その姿を見て、自身の目からも涙がこぼれた。「本音はまだまだやりたかった」と隠さなかった。ただ「もう体がついてきませんでした」とも言った。23年半の長き力士人生。悔いは「全くないです」と、別れを告げた。

 15歳で鳴戸部屋に入門し、関取を18年務めた。怪力を武器に、史上最長の19場所連続で三役に在位。大関にも近づいた。だが、ケガとの闘いも常だった。左肩や両膝などを9回。のども含めて10回も手術した。ボルトや針金も3カ所残る。「ケガさえなければという気持ちもありますが、ケガがあったから、ここまでできたのかなと思います」。

 勝っておごらず、負けて悔しがらず-。信条だった。1度だけ、横綱に勝ってニヤつき、先代師匠の鳴戸親方(元横綱隆の里)に怒られた。「相撲は神事。ただ勝ち負けを争うスポーツじゃない。相手に失礼。喜びを我慢し、悔しさを我慢する」と自らを戒めた。ただ、最後の相撲だった先場所千秋楽で涙が。2度目の感情の露出。「親方が生きていたら怒られたかな」。

 中3の夏に地元弘前の巡業で、あこがれの横綱貴乃花に胸を借りた。7年後の98年秋場所で初めて対戦した一番は「悔しさよりも、対戦できたうれしさの方が勝っていた」。通算9戦全敗で「本当に強い横綱だった」。そして昨年九州場所で2年間付け人だった十両輝と対戦。「特別な感情があった」と、この2番が忘れられない思い出だった。

 将来は自身の部屋を設立する目標を持つ。「稽古場も私生活も真面目に取り組む力士が、1人でも多く出てきてほしい」。自らは23年半「命がけで土俵に上がっていた」。そんな力士を、育てていくに違いない。【今村健人】

<若の里 忍(わかのさと・しのぶ)アラカルト>

 ◆本名・古川(こがわ)忍。1976年(昭51)7月10日生まれ。184センチ、153キロ。家族は彩夫人。

 ◆二子山との縁 初代横綱若乃花と同じ青森・弘前市青女子(あおなご)地区出身で、自宅から若乃花の生家まで徒歩5分。小学校には優勝額もあった。中3夏の弘前巡業ではおいの横綱貴乃花と相撲を取り、その兄で3代目横綱若乃花には太刀持ち、露払いを最後まで務めた。

 ◆入門 弘前実高へ進学予定も、小6で知り合った先代鳴戸親方に誘われて中学卒業で入門。92年春場所初土俵、97年九州新十両、98年夏新入幕。

 ◆花の51年組 1976年生まれには元大関の千代大海、栃東、琴光喜や高見盛、隆乃若ら関取が多数。

 ◆大関候補 三役在位は史上8位タイの26場所(関脇19、小結7)。関脇で2場所連続2桁勝ち、03年九州、05年春と大関とりに挑むも、ともに負け越した。

 ◆記録 殊勲、敢闘賞ともに4度、技能賞2度、金星2個。通算1691回出場は5位、通算914勝(783敗124休)は7位。幕内在位87場所は8位。

 ◆芸術肌 小4時に世界児童画展で日本美術教育連合賞を受賞。陶芸も得意。

 ◆五輪 98年長野五輪ではノルウェー代表を先導。