13日目の日馬富士戦で左肩付近を痛めながら強行出場した新横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)は、横綱鶴竜にあっけなく寄り切られて2敗に後退した。左肩から上腕にかけてテーピングを施し、意を決して臨むも、いつもの相撲は取れなかった。それでも、千秋楽の出場も明言。大関照ノ富士にトップの座を明け渡したが、千秋楽の直接対決で逆転優勝に望みをかける。

 強い責任感と、断固たる決意で臨んだ土俵のはずだった。それでもまだ、覚悟は足りなかったのか。それ以上に重傷なのか。あっけなく俵を割った直後、稀勢の里は顔をしかめた。左腕を力なく下げた格好で。優勝争いの先頭を照ノ富士に明け渡し、自身は2敗に後退した。短く「まあ明日。大丈夫です」と言った。

 13日目に負った左肩付近のけが。周囲は「肩の付け根付近を痛めたのでは」という。朝は稽古場に姿を現さなかった。それでも出場を直訴した。15年間の相撲人生で、1度だけ休場した14年初場所千秋楽。この日を「今までで一番つらかった」と振り返るほどに強い出場への思い。これに、師匠の田子ノ浦親方(元前頭隆の鶴)も「本人は大丈夫だ、出ると。そういう強い意志がある」と承諾した。事実、肩から上腕にかけてテーピングを施しただけ。土俵入りでは、かしわ手こそ音は小さかったが、手を高々と上げた。「いつもと変わらなかった」と露払いの松鳳山。公の場で、表情は少しも崩さなかった。

 ただ、出番前の稽古で1度だけ、うめき声を上げる場面があった。試した形も、もろ手でぶつかったり左を固めたり、組んだり…。1つに決めきれない。迎えた鶴竜との結びで選んだのは張り差しだったが、痛めた左は差せなかった。もろ差しを許し、わずか2秒5で寄り切られた。審判員として土俵下で見守った師匠は「ちょっと消極的だった」と心配しつつ「本人を信じている」と言い切った。

 引き揚げた支度部屋。弱みは見せたくなかったのだろう。先に日馬富士が入っていた風呂には向かわず、トイレでテーピングを外した。けが関連の質問には答えず「やるからには最後までやりたい。明日、しっかりやる」と言った。49年夏場所以降、千秋楽直接対決から1差逆転優勝を飾ったのは9例。出るからには横綱の責任が生まれる。覚悟を決めたときにだけ、10例目も生まれる。【今村健人】

 ◆おしん横綱 83年に30歳10カ月の遅咲きで第59代横綱に昇進した隆の里(先代鳴戸親方)は「おしん横綱」と言われた。糖尿病を患うも、栄養学を独学で学び、徹底した節制で克服。その困苦に耐える姿が当時大ヒットしたNHK朝の連続テレビ小説「おしん」の主人公と重なったことから、そう呼ばれた。