朝稽古のために到着した部屋の前で、写真週刊誌のカメラマンが待っていた。大関時代はなかった光景。初日に負けただけで注目を浴びる横綱の宿命だが「大変だね。オレを載せても面白くないのに」と笑い飛ばす余裕があった。

 土俵下の控えに座っていた出番前、押し出された照ノ富士が落ちてきた。187キロの体が左腕にぶつかり、左足も踏まれた。思わずしかめた顔が周囲を心配させたが、その後のたたずまいは平然としていた。「いいんじゃないの? 気が紛れて」と再び笑い、患部も「大丈夫ですよ」と問題なしを強調した。“ハプニング”もいなせる心。横綱として身につけた力で、初日黒星から乗り越えた。

 優勝制度が確立された1909年夏以降、連敗発進の力士が優勝した例はない。負ければ80年ぶりの初優勝からの3連覇が遠のいた一番で踏みとどまり、八角理事長(元横綱北勝海)は「1つ勝ってホッとするんじゃないか」と心情を察した。それでも「今日は今日で、明日は明日。しっかり集中してやります」。負けを引きずらず、勝っても浮かれず-。稀勢の里はやはり、素早く気持ちを切り替えていた。【今村健人】